「美空ひばりと日本人」(山折哲雄)

 最近、ちょっと演歌づいてしまって、美空ひばりや、阿久悠のことを書いた。阿久悠の本を読んで、「美空ひばりと日本人」を読んでみたくなった。この本を山折さんがだいぶ前に書いていることは書いていることは知っていたが、その時は買わずに過ぎていた。今回、美空ひばり生誕70周年であらためてひばりの歌を聴き、山折さん(宗教学者:仏教哲学)がどのように書いているのか興味を持った。
 この本は最初、1984年に「演歌と日本人」というタイトルで出版された。当時は美空ひばりの周辺ではいろいろと問題もあって、山折さんが主張した「美空ひばりと日本人」というタイトルは採用されなかったとのこと。その後、平成元年に「美空ひばりと日本人」となり、更に、10年後に美空ひばり以外の演歌歌手のことも取り上げた「演歌・人情・にっぽんのこころ」という数編が加えられている。
 山折さんは自分の研究室に「ひばりカレンダー」と「東京キッド」のポスターを飾っていたというから、相当のものだ。インドによく旅行するときは、美空ひばりのテープをメインにいろいろな歌手の演歌のテープを持っていくという。海外に行くと、お茶漬けやみそ汁が恋しくなるのと一緒だという。
 私もLAに駐在している時はほとんど日本食だった。納豆や、豆腐も簡単に手に入ったので日本食が恋しいということはなかった。 私はそれほど演歌好きというわけではないが、いい演歌(歌謡曲)は時々聴く。LAにいるときは、日本のTV放送が週一回しか見られない。たしか「演歌の花道」とかいう番組は毎週見ていた。歌番組はそれくらいしか見られなかったと思う。へたなくせにLAやニューヨークのカラオケでは「悲しい酒」や「恋人よ」などを歌っていた。
 本題に戻ろう。この本の中で、山折さんは、演歌の源流はどこにあるか、韓国か中国か、また、日本音楽の古層はどこにあるか、どこから来ているかなど、美空ひばり、森進一、八代亜紀北島三郎などの演歌に言及しながら語っている。
 また、河合隼雄の「昔話と日本人」に書かれている、昔話の中の「母・娘結合」「姉・弟結合」をひばりに当てはめているところが面白い。通常は“母・娘結合”から、“父・娘結合”に至り、その段階を超えて、“結婚”に至る。ひばりの場合は、典型的“母・娘結合”と、弟をかばい続け、弟の死後は弟の子供を養子として育ててきたという“姉・弟結合”で生きてきたと、書いている。河合隼雄の「昔話と日本人」を引っ張り出してきたところがユニークだ。 さらに、“演歌と巡礼”、“任侠道とひばり”という内容もなるほどと思う。ジャズと演歌の対比では、ジャズも演歌もアウトサイダーの心情を歌うという共通点はあるが、ブルース(ジャズ)は“感情の解放”、演歌は“感情の発酵”と分析している。日本だけでなく東南アジアに広がる「発酵文化」が食だけでなく、音楽、歌にも表れていると語る視点はうなづける。
 ひばりがジャズを少しは歌っていることは知っていたが、「ひばりのジャズ・アンド・スタンダード」、寺田聡子の「美空ひばり・オン・ヴァイオリン」というCDを山折さんが紹介している。面白そうなので聞いてみたいと思う。
 山折さんはこの本を書くのに50冊弱の参考文献を読んでいる。あらためて、学者というのは大変な数の本を読んで一冊の本を書くものだと感心する。Henry君もブログを書くに際しては、自分の蔵書?や辞書を調べ、インターネットの検索などをしながら書いている。ちょっとUnchiku調感想文を書こうとすると2時間くらいかかることもある。加藤秀俊さんの「隠居学」に書いてあったように、「○○のために」読むのでもなく、書くのでもない。読みたいから読む、書きたいから書いている。しいてキザッぽく言えば、“自分の道楽”として新しいもの、新しい発見を楽しんでそれを自分の頭の中に整理するためにメモを取り、ブログに記録として書いているということだろうか。