ドレミ…はどのようにして生まれたか(ブルーバックス:小方厚)
以前から、ヨナ抜き音階、ブルース音階、和音階など、音階や音楽理論のことがいま一つわからず、素人向きの分かりやすい音楽理論のことを書いたものがないかと探していた。
Henryも小中学の音楽はいつも5をもらっていたし、中学の時に姉にもらったギターを独学で勉強し、ギターコードくらいのことは多少は理解できた。クラッシックギターもカルカッシ教則本で一時は「アルファンブラ宮殿の思い出」他を弾くところまでいった。
そんなわけで、コード進行とか、和音の「完全5度」「短3度」とかの意味も当時は理解していた。一方で大学時代から徐々にJazzが好きになり、色々と聞き始めた。Jazzの理論のことも少し勉強したが、ブルース音階、ビバップ、モード奏法etc.、Jazzを演奏したことのない者にはいま一つピンとこなかった。
この本がそれらをすべて理解させてくれたわけではないが、副題にあるように、「ドレミ・・・はどのように生まれたか」から説明してくれていてわかりやすかった。
音率の始まりは、三平方の定理のピタゴラスが「ピタゴラス音率」として、最初は音楽としてではなく、数学、物理学としての研究から生まれたそうだ。ピタゴラスは弦の長さや、管の長さから、音の協和の関係を発見し、これを数学的にまとめ、ピタゴラス音階を作った。このピタゴラス音率から→純正律→ミーントーン、ウェルテンペラント→平均律と推移してきた。どうしてこうなってきたかは面倒で、難しいから書かない。興味のある方は、本を読むか、インターネットで検索してみてください。なかなか奥が深く、音楽の好きな人、数学に興味のある方には面白いと思います。
この本から、平均律クラヴィア曲集(バッハ)は平均律で演奏されたわけではなく、単に“良く調律された”クラヴィア曲集ということも教えてもらった。
ところで、ピアノのド(C)から1オクターブ高いドまで、白鍵と黒鍵を数えると全部で12になる。それぞれの音の差は半音。ついこの間まで、音の高さは1オクターブを12等分したものと思っていた。そうではなく、それぞれの音の周波数の比が一定という原理になっていることを知った。つまりドとド#の周波数比は、277.18:261.62≒1.0594、ド#とレは293.66:277.18≒1.0594、以下同様。ということのなっている。これが12平均律というわけだ。
つまり、人間の耳は音を「差感覚」ではなく、「比感覚」で聞いていると言うことになる。数学的にいえば、人間は音楽を「対数」で感じているというわけだ。「半音と半音を足すと全音になる」と学校で教わったが、これは無意識のうちに対数を用いている。
12音それぞれの音の周波数の比は、つまり2の12乗根→2の1/12乗≒1.0594となる。隣の半音高い音は2の1/12乗にさらに2の1/12乗を掛けたもの(2の2/12乗=2の1/6乗)となる。
ピアノの鍵盤は15世紀にはできていた。数学の対数が普及したのは17世紀以降。対数の概念ができあがる前に、音楽では対数目盛りを導入して演奏を容易にしていたというわけである。
ヨナ抜き音階とは、CDEGA(ドレミソラ)という5音階で、日本人がDNA的に書き込まれている音階だと思う。これは日本だけでなく、中国、インド、また、蛍の光などのスコットランド民謡やエンヤのアイルランドなど北欧の音楽(音階)に共感するのもこれらの音楽が5音階を基調にしているからだと思う。
日本の音階にも、民謡音階、都節音階、律音階、琉球音階などがあるということも今回初めて知った。「黒田節」「君が代」などもこれらの音階が入り混じって作られているそうだ。「涙そうそう」も沖縄音階をあまり表面に出さずに、伴奏で沖縄色を出しているという。
また、Jazzのブルース音階というのは黒人奴隷たちが持っていたヨナ抜き5音階を7音階に拡張した結果だという。それはCDEGAの5音階で、EとGの間に1音、AとCの間に1音を入れたのだが、Fを入れたときにEを微妙に下げ、Bを入れたとき、Bそのものの音程を微妙に下げ、音階中の音の間隔の平均化を試みたのだという。
この音のことを「ブルーノート」(blueな♪=音)というのだった。だから、12律音階で作られたピアノなどの楽器では、ブルーノートの音は出せないのだ。そうだったのか!、あのJazz Pianistの巨人、セロニアスモンクがその微妙に下げた音がピアノで出せないので隣り合った鍵盤を同時に叩いて、“ブルーノート”を表現しようとしたわけだ。
この本、Jazzのコード進行の理論や、モード理論、12音階以外の微分音階(インドの22音階や、チュニジアの29の音率)のことも説明している。実際に楽器を弾くか、音を聞きながらでないと理屈だけではなかなか理解が難しいが、今までより、少し音楽のことが分かるようになった。いまさら楽器を持ってのJazzの勉強はできないが、ブルース・ハープの教室には通いたいと思っている。
私はクラッシックも時には聴くが、やはり綺麗な12音階だけのものより、ブルーなノートの混ざる5音階や、わびさびのきいた不協和音の混ざるJazzのほうが自分の遺伝子にぴったりと感じるようだ。最近、歳のせいか、演歌、歌謡曲、三味線、新内などが腹にしみるのも、西洋音階にないものがDNAに響いてくるのだろうと解釈している。