「昭和史」(半藤一利:平凡社)を読む

 今迄、昭和史はまともに読んだことがなかった。大学受験で日本史をとったので、高校時代はやむを得ずしゃにむに日本史の年号とばらばらの事象は記憶した。歴史関係の本もほとんど読んでいなかったので歴史を時代の流れの中で捉えるという視点がまるでなかった。だから大きな事件も時間的後先がいまだにはっきりしない。まして、人物のつながりなどはさっぱりわからない。その点、家人は歴史が好きで、歴史小説が好きだったので、将軍の正妻が誰でその子供が誰、誰それとの間に生まれたのがタケチヨで、誰と誰とは恋仲だったてなことまでよく覚えている。大河ドラマを見るように歴史を勉強したのだろう。私が何も知らないので、よく馬鹿にされる。 家人に叱られるだろうが、言ってみれば、井戸端会議の延長線の感覚で読んだのだろう。彼女は井戸端会議の好きな女ではないことは家人のために弁護する。
 本題に入ろう。以前、このブログで、「ジャズで踊って、リキュルで更けて」のことを書いた。この本を読んで、西条八十の歌謡曲がヒットした時代の昭和の時代背景をもっと知りたくなって昭和史を何か読んでみようと思っていた。図書館で目にとまった半藤さんの「昭和史」を借りた。は1926年(昭和元年)から第二次世界大戦の終戦の年、1945年までのことを書いている。昭和元年からとなっているが、ペリーの黒船来航から書き起こしている。509ページの厚い本だ。いつも数冊の本を並行読みする浮気っぽいHenryとしては、厚い本はあまり得意ではない。途中で他の本に浮気をしながら、一か月がかりでやっと読み終えた。
 日清戦争日露戦争第一次世界大戦張作霖爆破事件、満州事変柳条湖事件)、上海事変盧溝橋事件日中戦争ノモンハン事件などから第二次世界大戦大東亜戦争)に至り、終戦までの流れを、それぞれの事件にかかわった政治家、軍人などの実名を挙げながら、歴史記録、昭和天皇の「独白録」や関係者の日記、関係者の戦後の証言などを引用、紹介しながら書いている。
 平凡社の編集者から「学校ではほとんど習わなかったので、昭和史のシの字も知らない私たちの世代のために、手ほどき的な授業をしてほしい」との依頼のもとに、何回かの講演をまとめて本にしたものだという。そんなわけで、わかりやすく、読みやすく書かれている。
 今迄、各事件、事変の断片的知識や、関連の本、TVの「その時歴史は動いた」などで昭和史のことはある程度は理解していたが、改めて昭和史の流れ、各事件のつながり、第2次世界大戦に至った過程等が理解できた。それにしても、個々の事件、事変は言うに及ばず、何とバカな戦争をしてしまったのかと、あきれるばかりだ。終戦にしても、広島に原爆が落ちる前に降伏することもできた。広島は間に合わなかったとしても、中枢部に知恵があれば、長崎には落とされずにすんだ。などなど、歴史に“たられば”はないのだが、いまさらながら、人間のアホらしさにあきれる。
 半藤一利があとがきで書いている。「『歴史に学べ』というが、正しくきちんと学ばねばいけない。正しく学べば、昭和史の20年がどういう教訓を私たちに示してくれたかが理解できる。“国民的熱狂”を作ってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。時の勢いに駆り立てられてはいけない、ということだ。」この本の中には、マスコミ、新聞がいかにそういう「熱狂」をあおったかも書かれている。それによって、国民や、軍部までもが、更に「熱狂」に駆り立てられていったわけだ。そういう意味からも昭和の20年は「魔性の歴史」だったのだと書いている。
 山本七平の「空気の研究」という本がある。御前会議でも「その場の“空気”では、誰も異を唱えることができなかった」と書いている。その“空気”が大東亜戦争までもって行ってしまったのだ。日本の社会は“空気”の支配する社会だ。今、KY(空気が読めない)という言葉がはやっているいるようだ。空気が読めないのも困るが、「熱狂の空気に押し流されて、何も言えない、何もできない」となると、また歴史が繰り返してしまう危険がある。
 日本も東南アジアも、中近東、アメリカも新しい時代を迎えようとしているようだ。過去の歴史に学んで、今こそ、時代の空気を読んで、熱狂しない、その場の空気に流されない、冷静な洞察が求められる時だと思う。