「歳月」:茨木のり子

 家人の勧めで、茨木のり子さんの「歳月」という詩集を読んだ。「私の今の気持ちが分かるから、最初の2,3の詩だけでもいいから読んでみて」といわれて就寝前のベッドでの読書に読んだ。2,3で眠たくなるだろうと思っていたが、一気に読んでしまった。
 詩集といえば、若いころ、啄木、賢治、朔太郎、中原中也ほか、新潮文庫で日本近代史鑑賞などで有名詩人の詩を拾い読みしたくらいだ。一冊すべてを読んだ詩集は啄木くらいだろう。数十年ぶりにまともに一冊の詩集を読んだ
 この「歳月」という詩集、“感受性、感性の鈍い”とよく言われるHenryではありますが、良い詩、わかりやすい詩ならば感ずるわけであります。
 さて、この茨木のり子さんの詩集はTVの週刊ブックレビューで紹介されたものを、家人が図書館で借りてきたものです。茨木さんは昨年亡くなったようですが、この詩集は死後出版されたました。ウィキペディアで検索すれば、どんな生い立ち、経歴の人かわかります。インターネットで検索したら、以下の二つのURLで彼女の詩を紹介しています。
 その中の、「わたしが一番きれいだったとき」という詩は、多数
の国語教科書に取り上げられているそうです。これもなかなか素晴
らしい詩です。
 「歳月」という詩集は、シニア夫婦向きかと思いますが、熟年離婚が増えている中で、夫婦のあり方を反省させられる詩でもありました。女性の方が感動するのではないかと思いまが、私のような、この歳になっても、“女心”がわからない“頑固B型爺”としても考えさせられるところ大の詩集でした。
 以下の、URLで彼女の詩が一部紹介されています。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/shisyu.html
 次のURLでは「歳月」の中の詩も紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20070221
 
 次の「倚(よ)りかからず」という詩も味わいがあります。

「倚(よ)りかからず」 ※73歳の作品

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ