小学校クラス会
11月25日(日)に小学6年のクラス会を3年ぶりにやった。3回連続幹事をやっている。住所が分かって連絡の取れるクラスメイトは半分の25名になってしまっている。50名のクラスメイトの内、すでに亡くなった方が7名ほどいる。クラス会の案内を出してから、級友の妹さんから3年前に亡くなりましたという電話をもらったりもした。
卒業以来、50年ぶりという出会いもある。そんな長い時間が経過していても、当時の記憶がよみがえって昔話に花が咲く。こんな人だったのなら、もっと小学校の時に話をしておけばよかった等、今だから話せることもある。
つれあいを亡くされた方、故あって離婚された方、60歳を過ぎるとそれぞれの人生がある。でも、50年の時間をタイムスリップして、クラスメイトと今の人生、生き方を語り合うのも楽しいものだ。Henryも50年前の小学生の頃とはだいぶ変わったと思うのだが、同級生に言わせると、小学校6年から、Unchikuとはいかないまでも、よくしゃべってけっこう仕切っていたとのこと。書き込まれている遺伝子の図面はそう簡単に修正されていないということだろうか。
恩師も75歳になるが、まだまだ元気、2年前くらいまでは、現役で働いていた。我々を教えていた時は弱冠22,23歳、血気盛んな素晴らしい先生だった。学年一番の問題クラスを校長に指名されて担当した。そんなわけで、生徒にも、先生にもいろいろな思い出がある。問題の多いクラスだっただけに、先生の記憶も確かで、色々なエピソードを話してくれる。女性の一人が、歳をとると古いことをよく覚えているものよ!とか、先生、いま私の近況報告の番ですから、先生の話はまた後で、などと、言いたいことを言い合って、会話を楽しむ。
今なら、新聞沙汰になるところだが、10数人で集団いじめをして、先生から全員ビンタを食らったことや、先生が態度の悪い生徒に怒り、授業ボイコットをされたこともあった。級長をしていたHenryはみんなに反省を促し、代表して職員室に行って先生に謝り、授業をしてもらうようにお願いしたこともある。その話をしたら、先生曰く、「怒って職員室に引き上げたものの、誰も来なかったらどうしようと思っていた」とのこと。それを聞いた、定年まで小学校教員をやった女性のクラスメイト、「私も、先生の真似をして、授業ボイコットをしたことがありました。」とのこと。やはり、誰かが職員室に迎えに来なかったらどうしようと思ったようです。
わが恩師、今年、叙勲を受けたという。ささやかな贈り物をした。HenryのUnchikuと理屈好き、しゃべりたがり屋は、遺伝子だけでなく、この恩師の影響も大きかったように思う。そう言えば、家人も、先生の奥様も、先生と私が似ていると言っていた。
次のクラス会は、2年後に、先生の喜寿のお祝いを兼ねて、奥様をお呼びして開催しようということで散会した。