日本史必須問題

 神奈川県が日本史を必須科目に決めた。神奈川県知事が「日本史を必須にしたことによって、少しでも愛国心を育てることになるのでは」と発言したことが、また、物議を呼んだ。夜のTBSラジオのバトルトークで知事も電話で語っていた。知事の意図は左翼陣営や左翼系の学者の反論も意識しての発言という。知事は、皇国史観靖国につながるような右よりな考えの愛国心ではなく、日本の文化、伝統を理解し、何が日本の良い所、悪い所か理解、判断できる歴史観を学ぶべきだという。ごもっともな発言だ。
 たしか、私の高校時代は、日本史が必須で、世界史か地理の選択だったと思う。社会科社会?とかも必須だったように思う。私は地理を選択した。大人になってからは世界史を勉強しなかったことが悔やまれた。
 大学受験によって、高校の選択科目やカリキュラムが影響を受けている。私は、今となっては高校の勉強は、大学受験の文化系、理科系にかかわらず、一通りの科目を勉強させるべきではないかと思う。全ての科目を現在の授業時間の中でこなすのは無理があるのだろうが、希望する生徒には、理科は生物・物理・科学、社会科は日本史・世界史・地理。近現代史、数学は、今は呼び方が異なるようだが、昔の呼び方で言えば、数1・数2・数3、国語も古文・漢文など、授業を受けることができるようにすべきではないか。多少浅くなってもやむを得ないが、一通りの勉強をしておいた方がいいと思う。社会に出てから、自分で勉強したいものが出てきたときに、高校時代にある程度勉強したことが、水先案内になる。数少ない受験科目だけしか勉強しない今の大学生の多くはかたわになっていると思う。
 アメリカの大学は、高校、カレッジでの科目取得単位の合計とSATの点数で合否を決めている。こちらの方がよほど合理的だと思う。
 高校の先生は、細かいことを全て語るのではなく、また、生徒に単に年号や出来事だけを教えるのではなく、日本史ではどういうところをどう勉強すべきか、歴史のおもしろさはどういうところにあるのか、歴史の流れ等を楽しく教えるべきだと思う。
 日本の歴史教育は、教科書問題なども含め、日本だけでなく中国、韓国などの東南アジア諸国にも色々と波紋を投げかける。古代日本の姿、日本人のルーツ、日本語のルーツなど、まだ歴史的に確定できない部分が多くある。また、邪馬台国の北九州説と畿内説も決着がついていない。古事記日本書紀等、記紀の内容も、神話と歴史的事実、藤原不比等の政治的意図など色々なものが絡んでいて、学者の間でもいまだに論争が続いている状態だ。
 天皇制や靖国問題、第二次大戦の戦争責任など、学習指導要領の制約、日教組の存在など、日本の歴史教育には色々な問題が未解決で教師に対して圧力になっているのではないだろうか。また、日本のみならず、歴史教育は時の為政者のよって表現、解釈を曲げられることも多い。
 日本史の授業が多くの学校で、江戸時代から明治の初期で時間切れで終わってしまっているのは、本当に時間が足りなくなったからではないのではないか。教師が、“あえて危うきに近寄らず”で、明治・大正・昭和について教えることを避けているのではないかと、私には思える。
 政治のこと、宗教のことを、日常会話で話題にすることは、通常タブーとされている。宗教の違い、支持政党の違いなどがわかると、ややもすると口論になり、人間関係が壊れることがあるからだ。だからビジネスの社会では余計タブーとされる。
 しかし果たして、それでいいのだろうか。日本史の問題も含めて、少なくとも、夫婦、家族、兄弟、親しい友人との間では、もう少しこういう問題を冷静に話し合う場があってもいいと思う。
 定年になって、“時持”になって、今まで勉強してこなかったことに興味が出てきたことがたくさんある。日本の古典芸能の「能・狂言文楽浄瑠璃・雅楽etc.」や、世界の宗教「キリスト教ユダヤ教イスラム教ヒンドゥー教、道教儒教、仏教、チベット密教東南アジアの仏教、日本の仏教」など、高校時代に何らかの形でもう少し教えて欲しかったなと思う。そういうことは、自分で学ぶものかもしれないが、どういう風に自分で学習したらよいかのガイドラインくらいは教えて欲しいものだと思う。
 私のブログでは、政治的なこと、宗教的なことはあまり書かないことにしていますが、今日の「日本史必須問題」は日頃から考えていることなので、ちょっと長くなりましたが書かずにおれませんでした。