島根紀行 その2:石見銀山

 世界遺産に指定されてから初めての石見銀山を見てきた。世界遺産に指定されてから、訪れる人もだいぶ増えたようで、休日には手前で車を降ろされ、シャトルバスに乗らねばならぬという。我々は午後の4時頃に行ったので、幸い中まではいることができた。
 今回は銀山の古い町並みをゆっくりと散策した。世界遺産に指定されてから、趣のある民家が、公開しているものと間違われて、外国人に玄関を開けられることが多くなったという。そのため、玄関を閉めておく家も増えたそうだ。

 まだ遺産指定に成り立てのためか、観光客目当てに“摺れていない”ところに味わいがある。レトロな郵便局を見ると、和紙に毛筆で書いた手紙でも出したくなる。この日は春分の日、小さなたばこ屋の日章旗と店先の〒マークや看板とすだれに飾られた花などが、ほのぼのとした温かみを感じさせてくれた。


 銀山が栄えていた当時は、この狭い谷間の街に10万人が住んでいたという。この岩見一帯は昔“石州”といって、民家や寺社の屋根のほとんどが、石州の赤瓦という瓦葺きになっている。まだ市の
条例とはなっていないようだが、昔から、住民の郷土意識が、同じ屋根瓦にしていこうという気持ちにさせているのだろう。小高いところから眺めると陽の光を反射してきれいだ。ところどころ、真っ黒な瓦葺きもある。これも、赤と黒の対比でいい模様になっている。
 多くの民家が、玄関脇に竹筒を花器にして、さりげなく季節の野草を飾っている、これも又趣がある。


 高野山などに比べ、町中の観光案内図など、まだ英語表記がほとんどない。I君の話だとまだ外国人はそれほど多くないという。
 石見銀山のことはNHKの番組で何度か紹介された。この銀山はヨーロッパにも知れわたった、有名な銀山だった。この銀山を巡って、色々な戦いとその歴史があったようだ。
 出雲大社を含めて、世界遺産になった石見銀山、外国人にもたくさん来てもらいたいが、まず、日本人として、この地を訪れ、「ここはどこ、わたしはだーれ」と見つめ直し、日本の古代、近代に思いを馳せるべきではないかと思った。