伊勢詣りその2:東海道歩き

 2回目の東海道歩きに行ってきた。今回は京急雑色駅から、保土ヶ谷まで34,000歩、約20kmを歩いた。
 家人がこの暑い中、60過ぎの人間が20kmも歩くなんて「ばっかじゃない!」と言いながら、友人の妙齢さんに教えて貰った熱中症予防の特別ドリンクを作ってくれた。
 途中、鶴見の総持寺に立ち寄った。曹洞宗大本山だという。50万平方mの敷地の中に、鉄筋コンクリート造りの、大祖堂、三門などがある。立派な寺なのだが、鉄筋作りでこれだけ大きいと、どうも寺という味わいが無くなる。曹洞宗大本山と言えば永平寺ではないか。そして、こういう大きな寺が曹洞宗大本山としてどのような歴史があるのかと調べてみた。元の総持寺は石川県にあり、元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となったという。 明治31年(1898年) 火災で焼失し、
明治44年(1911年)石川県から現在地に移転したという。
 裕次郎ファンのKさんが、墓地の奥まったところにある、裕次郎の墓にお参りしたいというのでみんなで行った。
 命日は昭和62年7月17日、享年52歳だった。墓前にはたくさんの花束が添えられ、墓守のおじさんが花を整理していた。
 墓碑には夫人が彼に対するイメージを詠った詩が刻印されていた。 「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」
 途中、生麦事件の現場を通り、生麦事件に詳しいIさんの解説を聞いた。高校時代に学んだのだが、どんな事件だったか、この事件がその後のどういう歴史につながっていったのかなどほとんど憶えていなかった。
 生麦の先に、生の麦酒を飲ませてくれるキリンビール工場がある。工場の敷地内に綺麗なビアレストランがある。今回のグループは20人。これだけの人数で街中のレストランでは、場所を見つけるのが、なかなか難しい。と言うよりも、早くビールが飲みたいというのが、汗びっしょりのみんなの本音で、急遽、昼食の場所はここに落ち着いた。
 結構な昼食をすませ、残り6kmほど、目的地の保土ヶ谷に到着。駅前の商店街の路地を入った所に、昔ながらの銭湯を今回の幹事Wさんがあらかじめ見つけておいてくれた。19人のシニアが一斉に入って、小さな銭湯は一杯になった。街の常連さん数人は、我らシニアの団体のチンニューにちょっと怪訝な表情。浴槽の壁画は富士山かと思っていたら、なんと、「竜安寺の?石庭」であった。これもまた、をかしけれ、でありました。
 銭湯を出て、駅前の居酒屋で賑やかな反省会、IさんにはやされたKさんが、伴奏なしの「夜霧よ今夜もありがとう」を歌ったのには、全員、大喝采でありました。
 ともあれ、皆さん汗びっしょりになったものの、熱中症で倒れる方もなく、全員無事の楽しい、「お伊勢参り東海道歩き」でありました。