“日本人の宗教心とは何か”

 塾で“日本人の宗教心”についてのお話を聞いた。今、この表題で執筆中であるという。
 神道については、縄文時代までさかのぼる古代の自然信仰、仏教が伝来したときの、聖徳太子がとった政策や聖徳太子宗教観などについて、その後の神仏習合靖国神社問題などにも触れてのお話だった。
 話の中で、宗教には個人宗教と共同宗教がある。この二つがないとバランスが取れないという。日本では神道が共同宗教で仏教が個人宗教だと言う。
 なるほど、面白い分析だ。仏教だけでは組織は作りづらい。神道だけだと、まとまりは作りやすいのだろうが、行きすぎると、“神風”や“神国日本”になってしまう。
 インドで仏教が廃れてしまったのは個人の宗教だけで行こうとしたからで、結果的には個人の宗教と共同の宗教の併せ持ったヒンズー教が残ったのだろう。
 日本では聖徳太子が日本人の心の中にもともとあった、祖霊信仰、御霊信仰神道と、伝来した仏教をミックスして十七条憲法を作り、古代の日本をまとめ、日本の基礎を作った。
 キリスト教圏では旧約が共同宗教で新約が個人宗教だという。
 
 最近、わたしも、仏教が伝来する以前から、日本人の中に連綿として引き継がれている、自然信仰や祖霊信仰、御霊信仰を見直している。そういう日本人の心の奥底にある信仰心、その意味での神道を大事にしたいと思う。
 仏教の各宗派も神道修験道もミックスしてYaoyorozu‐ism、八百万教としたらすべて上手くいくのではないか。
 
 河野議長が終戦記念日の8月15日に靖国神社の隣の日本武道館の政府主催戦没者追悼式で「特定の宗教に拠らない追悼施設」の設置について言及した。小泉元首相の靖国参拝は色々と物議を醸した。その後の、阿倍さん、福田さんは参拝をしていない。そのせいか、靖国神社の参拝者もだいぶ少なく、マスコミもオリンピックに浮かれて?靖国問題はあまり取り上げられていなかった。
 いっそのこと、しちめんどくさい議論をせずに、「靖国」も「追悼施設」も一緒くたにして、『八百万神仏社』にしてしまえばどんなもんじゃろか。“神も仏もあるもんじゃ?!”