「信ずる宗教 感ずる宗教」(山折哲雄:中央公論新社)

 8月7日にYUTOさんからコメントいただき、山折哲雄の「信ずる宗教、感ずる宗教」を紹介してもらった。山折愛読者としては早速購入して読んだ。今までの山折哲学、宗教学の総集編エッセーといったところだろうか。一編一編が短いエッセー風なので読みやすいが、今までに山折さんの本をあまり読んでいない方には、ちょっと短すぎてもの足らないかも知れないが、かえって堅苦しくなくていいかもしれない。
 目次を書くと、
1.まんだら宗教学
2.日本人の宗教心
3.宗教つれづれ
 と題し、仏教、キリスト教多神教山岳信仰シャーマニズム等々、色々なことに言及しながら、信ずる宗教、感ずる宗教について語っている。

・目に見える多神教と目に見えない多神教
 ギリシャローマ神話に見られるような目に見える多神教と異なり、日本の多神教は、目に見えない。
多神教こそ民主主義的である。
アニミズムという手垢に汚れた言い方ではなく、「万物生命観」といった表現に置き換えたらどうか。

 山折さんは、私が若いときから好きな、以下の二つの歌を引用しながら、信ずる宗教と感ずる宗教の違いを、静かに語っている。
 
 西行が伊勢神宮の神前にぬかづいて歌った、
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
 藤原敏行
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」
 
・「神」を信ずる人間と、「カミ」を感ずる人間の違い
・神の存在に訴えかける宗教と、カミの気配に敏感な宗教の違い上記二つの歌に表現された、「カミ」と自然のはたらきを微妙に感じ分ける「気配の美学」といってもいいのではないかと、山折さんは静かに語りかけている。
 又、宗教の教育の源には、万葉集源氏物語平家物語の古典教育の必要性を強調している。
 万葉集における霊魂観、源氏物語にあらわれる「もののけ」現象、平家物語に流れる無常感覚をきちんと教えるだけで、我が国における宗教の最も重要な項目を伝えることができると語っている。
 昨今の日本の世相の乱れ、学校教育の衰退を考えると山折さんの言うように、これらの古典の教育をしっかりとやって貰いたいものだ。藤原正彦が「国家は国語」の中で、国語教育の重要性を熱く語っている。現在は義務教育で宗教教育はできない。しかし、国語教育の中で充分教えることができるものだと思う。 
 私もいままで宗教、哲学の本を色々とつまみ食いをしてきた。最近はいろいろなものを包含した“八百万教”的“無”の宗教というものに共感する。山折さんだけでなく、玄侑宗久や久保田展弘、上田紀行梅原猛、等々、多くの仏教学者や宗教学者、哲学者が同じようなことを語っているように思う。
 
 日本人として、「肚」のおさまりの良い、四季宗教=Season Religion=日本の「感ずる宗教」を大事にしていきたいと、“感じた”。