白洲次郎・正子展

 9歳上で、まだ魚河岸で元気に海老問屋をやっている姉からの誘いで、銀座松屋で開催されている、「白洲次郎・正子展」を見に行った。白洲次郎のことは、「風の男白洲次郎」や雑誌を読んでいた。TVでも何回か放送されていた。白洲正子の方は、十数冊本を読んできた。素晴らしい夫婦というか、素晴らしい男と女だと思う。
 鶴川町にある、「武相荘」には以前から行ってみたいと思っているがまだ行っていない。無愛想にいく代りに、姉に誘われて展示会に行ってきた。内容的にはほとんど知っていることが多かったが、白洲正子の集めた骨董品や白洲次郎の身につけていた、被服や、「武相荘」での調度品、マッカーサーへの自作の椅子の贈り物についての英文レターや日本国憲法の草案に関わったときの文書の展示など、興味深い展示を見ることができた。
 姉と別れてから、銀座の近くで働いている、高校時代の同級生、tachanさんを呼び出して「教文館」でCoffeeタイム、白洲次郎の話題になったら、tachanさんが、文藝春秋白洲次郎の記事が載っていると教えてくれた。早速、買って読んだ。
 記事によると、マッカーサー天皇陛下の贈り物を届けたときに、マッカーサーがそれをないがしろにしたことを怒り、マッカーサーを叱ったというのは事実ではないとか、身長が185cmほどいうのは間違いで175cm、65kgだったという。そういえば、展示されていたスーツやコートが小さく感じた。一緒に見ていた家人も、「昔のcmは今よりも短かったのか?!」と思っていたという。
 女の感性と、不思議な?数学的感受性にはおどろく。
文藝春秋に「白洲次郎:知られざる素顔」を書いた、ジャーナリストの徳本栄一郎は英米の機密文書を精査し、昨今、一人歩きしている、美化された「白洲神話」をクールに見つめ直している。
 白洲は、1950年代、吉田内閣の頃マスコミを賑わした。当時の記事は人格抹殺といえる批判の連続だったという。「傍若無人」「陰謀家」「吉田内閣宮廷派長官」「ラスプーチン」などの形容詞が並び、露骨な個人攻撃が多かったようだ。それは、戦後の混乱期にあって、白洲の、気骨と洗練された国際感覚に裏付けられたプリンシプルが、良い意味で、したたかで、抜け目なくも行動させたという。この一見矛盾する個性を備えたのが白洲だったと結んでいる。
 最後に白洲正子の骨董品の鑑定について書かれたものを紹介していた。
 「真物の中の真物は、時に贋物と見紛うほど危うい魅力がある。正札付きの真物より、贋物かもしれない美の方が、どれほど人をひきつけることか」
 この記事を書いた徳本栄一郎は、「私が白洲次郎に惹かれる理由も、この言葉につきる」と言っている。
 なかなか味わいのある文章だ。
遠からぬ内に、「武相荘」にも行ってみたい。