『やわらかな遺伝子』マット・リドレー

 畏友、Mr.Sの勧めで読んだ。このSさん、色々な本をかなり突っ込んだ読み方をする。大脳生理学、物理学など読んだ本を自分で整理してノートを作っている。ときどき私にそのコピーを郵送してくれている。先日も私のブログを読んで、ノーベル物理学賞の益川・小林理論の「CP対称性の乱れ」について、A4の用紙に20枚ほどびっしりと書いたものを送ってくれた。小生、未だこの理論はよく理解できていないが、小林さんの本より彼が整理した文書のほうがわかりやすかった。
『やわらかな遺伝子』の原題は『Nature via Nurture』直訳すれば“生まれは育ちを通して”あるいは“生まれか育ちか”といったところ。人間を形成するのに重要なのは生まれか育ちか。そういった問題が歴史的にどのように議論されてきたか、その馬鹿げた対立論争が長い間繰り返されている。
 類人猿の異性の好みから、IQについて、統合失調症、子供の発達、さらにはイヌイットの文化まで、膨大な資料を駆使して説明している。そして遺伝子が環境との関わりによって引き出す事象を論じ、「生まれは育ちをとおして」というテーマを印象付けていく。
 遺伝子については多少の予備知識はあるものの、著者の“これでもか”という例証にはいささか閉口する。それでも、Sさん推薦ということもあり、著者が取り上げた例証はどれも面白いので、なんとか最後まで読み切った。
 以下はamazonからの読者コメントのコピペです。ご参考に。
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ヒトゲノムの解読から、人は3万個の遺伝子からできていることがわかった。これでどうして人が「設計」できるのだろうか?愛、知能、性格、行動をめぐる人と動物のゲノム解析の新事実から、遺伝子が何をしているかがわかってきた。遺伝子は身体や脳を作る命令は出すが、すぐに経験によって作ったものを改造していたのだ。「生まれか育ちか」の二項対立の図式は誤っていた。「遺伝対環境」の時代は終りを告げたのだ。20世紀の遺伝決定論と環境決定論の悪夢(ナチズム社会主義)を断ち切り、ゲノム時代の新しい人間観を樹立する。
◆遺伝子は神でも運命でも設計図でもなく、時々刻々と環境から情報を引き出し、しなやかに自己改造していく装置だった-。ゲノム解読から見えてきた新しい遺伝子観・人間観を解き明かす。