「アンナ・カレーニナ」(栗原小巻)

 1月8日に、友人からのお誘いで、かめありリリオホールというところで、栗原小巻の「アンナ・カレーニナ」を観てきた。高校時代まで、国語嫌い、文学苦手だった私は、小説らしきものは、漱石、芥川、それと2,3の文学者の作品を読んだ程度だった。外国文学は、罪と罰くらいしか読んでいない。中学、高校と洋画は毎週のように見ていた。武器よさらば、風と共に去りぬ戦争と平和、ドクトルジバコ、老人と海、等々、映画では見ても小説ではほとんど読んでいない。今にして思えば、外国文学も若いときにもっと読んでおけば良かったと思う。
 「アンナカレーニナ」は映画も見ていなかった。初めてストーリーと内容を知った。男と女、時代が異なっても本質的なところは何も変わっていないのだなということを教えられた。トルストイが、その芸術、宗教、哲学のすべてを注ぎ込んで完成した普及の名作とのこと。ドラマではアンナ・カレーニナという女性を通じて、女性の美しさ、怖さ、理不尽さ(男から見ての)、というものを鋭く描いていると思った。栗原小巻が素晴らしい演技をしていた。男と女の関係、性の違い、女の感性、男の社会的地位、立場などは理解できる。しかし、ベースにあるキリスト教信仰に基づくアンナ・カレーニナの夫カレーニンの言動には、ちょっと抵抗があった。仏教(もしくは八百万イズム)を精神のよりどころとする私の日本人の立場からすると、微妙な意識のずれを感じた。
 例によって、家に帰ってから、復習をした。松岡正剛が「千夜千冊」でアンナ・カレーニナを取り上げていて面白かった。ドフトエフスキーが「アンナ・カレーニナ」は完全な芸術作品であると讃えたそうだ。この小説も大部の作品なので、源氏物語を読み終えたら読んでみようかと思っている。