途中、東田子の浦あたりを歩きながら「田子(たこ)の浦ゆ打ち出(いで)て見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」の話になった。私に、この「ゆ」はどういう意味かと聞かれた。「・・・に」という意味の「格助詞」ではないかと答えたが詳しい説明は出来なかった。“まさか「田子の浦湯」という銭湯ではあるめぇー”誰かが冗談を言う。
電子辞書を持ってきたので、宿に着いたら調べて、反省会の席で説明しましょう、ということにした。
「ゆ」は助詞 (格助詞。上代語。「よ」に同じ)で動作の起点・経由点となる所を表す。…を。…から。…を通って。という意味だった。
家に帰って調べ直すと、新古今集、百人一首では「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」として収録されているとのこと。
万葉集、新古今集なども昔読んだとき、百人一首とは異なる表現であることを知ったが忘れてしまっていた。
また、Webで調べると、田子の浦の場所は、「『続日本紀』に「廬原郡多胡浦」とあるのと同一地と思われ、現在の庵原(いはら)郡蒲原町あたりに比定されている。富士市南部の田子の浦とは別。安藤広重画『東海道五十三次』で描かれた「由井」が、赤人の歌の視点とほぼ同じ位置から描かれていると思われる。」という説明があった。