お伊勢詣り:東海道歩き:金谷→袋井<その1>

 9日、10日と、お伊勢目指して、東海道の金谷から袋井まで歩いた。
今回のコースは途中昼食を食べるところがないというので、駅でおにぎりとお茶を買った。
 金谷からは、駅を出発するとすぐに金谷坂の石畳、石を敷き詰めた坂道を上る。いきなりの登りはきつかった。しばらく坂を上ると、一面の茶畑がひらけてきた。茶畑がきれいに刈り込みされ、緩やかな曲線を描いていて気持ちをゆったりとさせてくれる。
 茶畑のあちこちに高い柱の上に扇風機のようなものがついている。
カリフォルニア風力発電機のミニチュア版?かなと思いきや。同行の仲間に聞くと、霜が降りないように水蒸気、霧を扇風機で払うためだそうだ。
 さらに登っていくと、小夜の中山峠に来た。行基開設という久延寺についた。この寺は徳川家康掛川城山内一豊に命じて観音堂を建立したという。

 家康は長篠合戦で勝利した後、その勢いで武田方の諏訪原城を攻めているが、その際には久延寺に本陣を置いたといわれ、遠江平定後も家康公は久延寺をしばしば訪れたという。のちに家康公は関東へと移っているが、慶長 5年(1600) 6月24日の事、大坂から会津上杉景勝攻めに向かう道中、時の掛川城山内一豊が久延寺の境内に設けた茶亭で、もてなしを受けた。という由緒のある寺だということを知った。
 
歴史に弱い小生、大河ドラマもほとんど見ないので、恥ずかしながら、この久延寺のこと、掛川城のことを何も知らなかった。
 寺の隣の扇屋という茶屋でお茶を頂きながら握り飯を食べた。その茶屋の前に西行の歌碑が建っている。小夜の中山という地名と「年たけて また越ゆべしとおもひきや 命なりけりさやの中山」という歌は覚えていたが、この地がどこにあるのかは知らず、この歌が誰の作かも忘れていた。西行が二度この峠を越えた。初めは30代の時、二回目は69歳の時という。69歳の時にこの歌を詠んだそうだ。今回の仲間の内に69歳前後の方が2,3人おられるはずだ。皆元気にこの峠を登ってきた。
 この日歩いたのは14,5kmだろうか。西行はもっと長い距離を歩いたに違いない。東海道の狭い坂道を上り下りすると、江戸時代の人や、大名行列が籠を担いで、江戸まで行くのにどんなにか大変なことだったろうと思う。
 この小夜の中山峠は和歌・俳句の名所でもあり、「小夜の中山」を詠み込んだ和歌は、勅撰集だけでも四十余首。このほか多くの歌集、句集、紀行文に取り上げられ、歌枕として古くから人々に親しまれ、愛されてきたという。
 「道のべの 木槿は馬にくはれけり」という芭蕉野ざらし紀行の句碑もあった。同行の粋な仲間が季語の本を持参している。「木槿」はムクゲとよむのかどうか確認したりして、句をあらためて鑑賞する。この小夜の中山峠には、合計11の歌碑、句碑が峠の道沿いに建てられており、しばし足を止め、昔に思いを馳せた。
 町なかの東海道と異なり、今回の東海道は見所がたくさんあった。
 掛川に向けてはほとんどが下り坂。狭い道だがときおり車が登ってくる。途中で止まったら、坂道発進ができずに、そのまま後ろに下がりそうな急坂だ。足を踏ん張りながらの急な下り坂は、登りよりもしんどいことがある。
 今夜の宿、掛川宿を目指し黙々と歩いた。足がじんじんとし始めた頃、宿の看板「桃源郷」が見えたときにはほっとした。
 何事も“ゴール”というのは達成感があっていいものだ。<つづく>

 久延寺、掛川城の動画が以下のURLからご覧になれます。
http://video.aol.jp/video-detail/-/3793527712