川越散策

 マンションの卓球部の仲間と川越散策をした。川越は今年の4月にも行っている。今回で4回目である。今回は電車で行って、今までに行ったことのないところもあるので参加した。幹事役のSさんがあらかじめ見所、コースを検討してくれていた。
 喜多院の裏手に「どろぼうはし」という小さな橋がある。昔、盗賊がこの橋から境内に逃げ込み、坊さんに説教され改心したといういわれがある橋とのこと。喜多院にはいつも正面の駐車場のあるところから入っており、裏手にこんな橋があるとは知らなかった。
 五百羅漢は今までにも何体かの写真を撮ったが、今回は今までとはちょっと角度を変えて撮ってみたりした。違う表情が見えるものだ。
 羅漢とは阿羅漢(サンスクリットのarhanの漢訳)のことで、応供(おうぐ)とも言い、もとは釈尊の別称でもあった。釈尊の死後、仏典の編集(結集=けちじゅう)に集まった500人の弟子達のことを五百羅漢といったという説がある。いろいろな説、解釈があるようであるが、あちこちの五百羅漢を見てみると、まじめな羅漢さんだけでなく、居眠りをしたり、本(経)を読んだり、楽器を弾いたり、酒を飲んでいるような羅漢さんもいる。真面目な羅漢さんも多いが、五百羅漢全員が真面目な弟子とはとても思えない。しかし、仏の教えを学んで、悟りを開こうとしていることは間違いないのだろう。いろんな羅漢さんがいることで、似非Budhistの遍理坊主も羅漢さんを眺めるとちょっと安心する。
 喜多院を出て、川越市の市立博物館に行った。学芸員さんが丁寧に川越の歴史、川越蔵造りの歴史、由来などを詳しく説明してくれた。
 川越の蔵造りの通りはあのまま昔から蔵造りが存続してきたのではない。明治26年(1893年)の川越大火で町の三分の一が焼け、類焼を免れた数件の蔵造りにならって店蔵を造り直したのだという。焼け残った大沢家住宅は(当時呉服商)や、煙草卸商だった川越市蔵造り資料館などを見学した。
 川越祭り会館にもはじめて入った。中に入って驚いた。川越祭りの大きな山車が展示されていて、祭りの映像を流しボランティアの方が説明をしてくれた。山車の出る祭りは熊谷の「うちわ祭り」しか見に行ったことがない。説明を聞き、映像を見て、この祭りも直接見てみたいと思った。
 Webで山車のことをいろいろと調べてみた。山車のことは次回書いてみよう。