「和の思想−異質のものを共存させる力」(長谷川櫂:中公新書)

 「和の思想」という題名にひかれて読んだ。「和」という字は左に「禾」(のぎ)と書くわけだが、この「のぎ」は軍門を立てる標識を意味し、右側の「口」は誓いの文書を入れる箱を表しているという。つまり、「和」は敵対するもの同士が和議を結ぶという意味から来ていると書き始める。
 「和」は単に、和服、和室、和食のように「洋」に対立するものではなく、古代日本の成立のときから、対立するものを取り込んで調和させる思想だという。「和」は「やわらぐ」、「なごむ」、「あえる」でもあり、異質なもの、対立するものをなごやかに共存させる力だという。
 長谷川櫂という人、俳人である。本の中には、随所に俳句や和歌が引用され説明されているのも「和の思想」を理解しやすくしてくれている。ちょっと長くなるが、この本の中で引用されていた、古今和歌集紀貫之の序が「和の思想」をうまく表現していると思うので孫引きする。
 「やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事(こと)業(わざ)しげきものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。
 花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり。この歌 天地の開け始まりける時よりいできにけり」
 この最後の三行、これが和歌の「和」の働きだというわけだ。
 私も古今和歌集は何かの折りにぱらぱらとめくり読む。あらためてこの序を「和」の視点から読むと、なるほどとうなずく。
 芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」は何人かの解説を読んできた。長谷川さんは、この俳句は上から順番に解釈するのは間違いだという。最初に古池を眺めていたのではなく、弟子の其角と蛙の水に飛び込む音を聞いて、芭蕉が「蛙飛び込む水の音」とまずよんだ。そばにいた其角がそれを聞いて、「山吹や」と上に置いてはと提案したが、芭蕉は「古池や」と置いてこの句ができたという。
 この古池は現実のどこにもない、心の世界の古池で、現実の世界と心の世界(次元の異なる)の取り合わせの句なのだという。そういう観点から、この句が蕉風開眼の一句となったわけだ。
 というわけで、この古池の一句は大いなる「和」の句であると述べている。
 この本、俳句だけでなく、生け花、建築、庭園などや、長谷川等伯の「松林図」を説明しながら、間の文芸、間の文化にふれ「和の思想」を語る。
 また、徒然草の五十五段、「家の作りようは夏をむねとすべし。冬はいかなるところにも住まる。暑きころわろき住居(すまい)は堪え難きなり。」を引用し、日本の「和」の思想の根底には、この蒸し暑い日本の夏を如何に涼しげに生きるかということに関係しているという。中国から伝わった漢字だけの文章は如何にも暑苦しい。中国の書から日本の書へ、そして、ひらがなを発明し、しかも字面を揃えずにすずしく文章を綴った。
 水墨画も中国の水墨画雪舟から等伯へと、異質なものをとりこんで日本化=和化してきた。つまり、異質なものを共存させ、そこに「間」も持たせたのだと思う。
 日本の原始信仰=祖霊信仰の中に、仏教を取り入れたのは、まさに「和をもって尊しとなす」の聖徳太子。長い年月をかけて神仏習合、八百万信仰が浸透していた日本の信仰風土を、明治の悪政、神仏分離令と、大和魂のまちがった日本独自の精神に祭り上げた皇国史観に翻弄された時期があった。
 混迷の現代、今一度、日本の「和」の力、『さまざまな異質のものをなごやかに、かつダイナミックに調和させる力』として見つめ直し、捉え直す必要があると、この本を読んであらためて感じた。
 良いお茶で、品の良い“和”菓子をいただいたような読後感でした。
 堅苦しくなく、さらっと読めます、是非みなさんもご一読を!

和の思想―異質のものを共存させる力 (中公新書)

和の思想―異質のものを共存させる力 (中公新書)