「寺よ変われ」(高橋卓志:岩波新書)

 上田紀行の「がんばれ仏教」(NHKらいぶらりー)で高橋卓志の新しい寺を目指す活動を熱っぽく、冒頭で紹介している。高橋卓志は、寺の子として生まれ、あまり深く考えもせずに宗教大学を卒業し、妙心寺で修業をし、住職の跡を継いだと自ら語っている。現在は、長野県松本市にある神宮寺の住職をしている。この本、今年の五月に出版された。
 高橋卓志は、ニューギニアのビアク島の遺骨収集団に参加し、衝撃的な体験をする。その後、チェルノブイリ原発事故後の被爆者に対する医療支援、タイHIVエイズ感染者・患者への雇用・生活支援、ターミナルケアへの関わり、地域高齢者ケアと、多様な活動を展開している。今年61歳になる若い坊さんだ。およそ、そこらの普通の坊さんとは違う。
 この高橋さん、地域の自由な学びと遊びの場として「浅間尋常学校」を神宮寺の庫裡を利用して1997年に開校した。校長は永六輔、教頭は無着成恭で、“いのちを学ぶ場”として、“10年100回キラキラ授業”を掲げて継続してきた。その授業には、筑紫哲也佐高信、オスギとピーコ、鎌田實、灰谷健次郎谷川俊太郎立松和平玄侑宗久さん等が参加し、夏のイベントプログラムの「原爆忌」には森山良子、スーザン・オズボーンなども参加したという。
 寺関係者から「イベント坊主」と呼ばれ、バッシングが強かったという。この「浅間尋常学校」10年間続けて、2007年6月閉校したとのこと。のべ参加人員は43,000人を越えたという。
 もっと早くこの学校のことを知っていたら是非参加してみたかったが、時、既に遅かった。
 この学校だけでなく、お寺の経理を公開し、葬式費用を明示し、領収書を発行するなど、情報開示をしている。また、健康とケアによって集客するという発想の転換で、枯渇化している浅間温泉を活性化するため、NPO法人「ケアタウン浅間温泉」として設立稼働し、同時にNPO法人「ライフデザインセンター」との協働を開始しているという。
 ライフデザインセンターは、今まで語ることをはばかられた「死」の問題も「自分らしい別れ方」というリビング・ウィル(生きているうちに表明する意思)を考え、書き記すという『旅立ちデザインノート』を作成してもらうという「デス・エデュケーション(死の準備教育)」も行っているという。
 多くの仏教の宗派、寺が葬式仏教と化した今日にあって、この高橋さん始め、心ある若手の僧侶達が、仏教、寺の改革の取り組んでいるのは頼もしい。まだまだいろいろな壁はあると思うが、日本の仏教、寺の改革、“復興”に取り組んでもらいたいものだ。
 日本にはなんと八万を超える寺があるという。小学校が二万四千、
小・中・高で四万、公民館が二万、急速に増えたコンビニでも四万
だそうだ。この八万ある寺が、既存の檀家だけに寄りかかった葬式仏教に埋没せずに、高橋卓志のやっているような、地域のこころのケアセンター、特定宗派に拘らないBudhismをベースとした地域のコミュニティーセンターに変身してくれればいいのにと思う。
 最近の私は、上記のような新しい発想で、仏教・寺だけでなく、神社も一緒になって、それこそ、“八百万寺社”として二一世紀の『神仏習合』を実現できないものかと思う。
 自称Budhistの遍理、蘊蓄ばかり言ってないで、アクションを起こせと、天の声、影の声が囁いているやにも聞こえる。神宮寺のようなところが近くにあれば、NPO活動に参加してお役に立ちたいという気持ちはあるのだが、たかが松本市なのに行動を起こさないところが、いまいち遍理の限界か。
 ともあれ、この本、我が義母や、私と同年代の親御さんの介護の問題を聞くにつけ、いや、親ではなく自分たち自身のことを含め、いろいろと考えさせられる。この本がより多くの方に読まれることを期待したい。