三遊亭円楽さん死去

 10月29日、円楽が76歳でなくなった。また一人昭和の名人が世を去った。円楽の落語もほとんど見たことはなかった。笑点の司会者として1983年から2006年桂歌丸に引き継ぐまで23年間つとめた。「星の王子さま」と自ら言う「キザ」さがおおらかで、憎めなかった。今、円楽時代の笑点を見ると、歌丸の司会の時よりも面白かったように思う。あらためて、素晴らしい落語家、芸人だったと思う。
 Henryも学生時代から時々読んでいた、鈴木義司の「キザっぺ」が好きで、自分でも時にキザを自称し、社会人になってからも「キザ」と言われることも多かった。そんなわけで、円楽の「キザ」は笑えたし、好きだった。円楽は鈴木義司とほぼ同時代、円楽は鈴木義司の「キザっぺ」が好きだったのではないだろうか。
 30日から、追悼番組や、歌丸、楽太郎はじめ関係者の談話を放送していた。円楽も最後の高座で演じたのは「芝浜」だった。52分のこの噺、舌がもつれた、これ以上みっともない落語は演じたくないと、落語の世界から引退した。楽太郎も言うように、落語ができなくなっても、もう少し生きていて欲しかった。
 
 圓楽は、7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝が病に倒れた後は8代目橘家圓蔵=元月の家圓鏡が称されることもある)と共に、落語四天王と呼ばれたそうだ。志ん朝、柳朝、圓楽が亡くなった。圓鏡は健在だが、談志は体調が悪いと言うことでしばらく休業とか聞く。馴染みの芸人、有名人が亡くなっていくことが気になりだしたのは、自分が歳をとったことの証だろう。
 
 今年はなんとなく落語づいている。今更、落語に入れあげるつもりはないが、落語の世界も奥が深く、なかなか面白い。名前を覚えている落語家をWebで検索し、落語家にかかわる話を読んだり、YouTubeで落語家の動画を見るのもなかなか楽しい。いつの間にか、真夜中を過ぎてしまう。これもまた、シニア隠居道の楽しみか。
 
 談志の言うように、「伝統を現代に」のこころで、跡を継ぐ三遊亭楽太郎や中堅若手が競い合って、「平成落語四天王」とでも名乗って頑張ってもらいたいものだ。