お伊勢詣り:東海道歩き−知立→熱田神宮→桑名 <その1>

 日本橋からスタートしたお伊勢詣り、東海道歩きも今回で14回目になる。毎回参加しているわけではなく、今回は3回ほど休んだ後の参加だ。いよいよ伊勢に近づいてきた。11月21日、今回、一日目は、知立から17km程歩いて熱田神宮に向かった。
 2年前に、同期会で知立から名鉄三河線で猿投(猿投)まで行ったことがあった。変わった名前の駅だと思った。知立は池鯉鮒とも書くと今回初めて知った。この字の方がよほど味わいがある。変に易しい漢字にしないで残して欲しいものだ。街道に面した駅近くのお菓子屋の看板に趣を感じる。

 この知立、他に智立、知里府、智鯉鮒とも書いたそうだ。かってこの地には御手洗池(みたらしいけ)という広大な池があり、ここで知立神社の雨乞いの儀式がおこなわれていた。池では殺生が禁じられたため、鯉や鮒が多くすみついて名物となり、やがて池鯉鮒の字を当てるようになったという伝説があるそうだ。

 街道沿いのむきだした根が見事な「根上がりの松」は根元の土が流出して根がむき出しになった古松で、たこ足のような根が奇妙でもあり立派だった。
 知立から名鉄名古屋本線沿いに4駅ほど歩くと、前後駅というところに着く。何の“前後”か駅名の由来が知りたくて、ちょっとWebを検索したが説明は出てこなかった。名古屋出身の方、ご存知でしたら教えて下さい。名鉄には「猿投駅(さなげ)」とか、「道徳駅」、「呼続駅(よびつぎ)」があり、かっては「尻毛(しっけ)駅」というのもあったそうだ。
 前後駅を過ぎ、現在公園になっている桶狭間合戦伝説地に立ち寄る。今川義元の二万五千の軍勢に、二千の信長軍が奇襲攻撃をかけ義元を討ち取った。そんな大きな合戦があった場所には見えなかった。
 前後の前に有松という有松絞りで有名な有松町並み保存地区がありまつ、いや、あります。瓦屋根、なまこ壁、格子の家が連なり、趣のある町並みになっている。慶長年間に知多郡から移住した竹田庄九郎という人が産業のないこの町に有松絞りという産業を生みだした。また、尾張藩の保護も受け、人々の努力によって多種多様な技法が生み出されていったという。

 有松の町並みは広重の五十三次にも描かれている。江戸時代の雰囲気もちょっと感じる町並みだ。町のほぼ中央に有松鳴海絞会館があり、二階では「三浦絞り」というものを90何歳かの三浦○○子さんという方が実演をやっているという。これも何かのご縁と見学したかったのだが、熱田までの道を急がねばならなく、時間がないので、残念ながら見学はできなかった。記念に三浦絞りのハンカチを土産に買った。
 有松鳴海絞り会館のURLにアクセスすると色々な鮮やかな絞り染めが見られます。