A塾の研修旅行で茨城に行った。千葉に生まれ、埼玉に長いこと住んでいながら、茨城は今までに海と筑波山にしか行ったことがなかった。私の好きな親鸞が越後から移り住んで20年住んだ所なので、以前から親鸞ゆかりの地を訪れてみたいとは思っていたが、行く機会がなかった。
今回11ヶ所の古刹、史蹟を巡って、あらためて、歴史のある見所が多いことを教えられた。
・常盤国 出雲大社
出雲大社と諏訪大社と、この常盤国出雲大社は地図上で見ると一直線に並んでいるという。宮元健次の「神社の系譜−なぜそこにあるのか」の中で、古代人が太陽の動きを、神の宿る「神社」の配置に応用したのがいわゆる「自然暦」で、古代の神社はこの自然暦に基づいて、配置、系譜が考えられているという。
例えば、鹿島神宮から見て、筑波山は夏至の日没の方向にあり、諏訪大社は、春分、秋分の日没の方向にあるといったもので、伊勢神宮や京都、奈良の神社が、この自然暦で位置関係が説明されている。ちょっとこじつけが過ぎるのではないかと思われるところもあるが、なるほどと納得するものが多い。
出雲大社よりずっと規模は小さかったが、大注連縄は立派なものだった。硬貨を注連縄に投げつけて藁に挟まって落ちてこなければ縁起が良いとか? 50円玉を投げたら、2回目に成功した。
・笠間稲荷神社
日本三大稲荷の一つという。稲荷といえば、伏見稲荷、豊川稲荷がすぐ浮かぶ。伏見稲荷の赤い鳥居の長く続く山道を一人で歩いたことを思いだした。豊川稲荷にも行ったことがあるが、この2つに比べて、ここ笠間稲荷さんは規模も小さく、ちょっとありがたみ?が薄いように感じられた。
ウィキペディアを調べてみたら、全国で三大稲荷を名乗るところが8つもあるという。(下記参照) 伏見稲荷大社を入れると9つになる。また、豊川稲荷は神社ではなく寺である。
稲荷神社といえばキツネ、キツネはあくまで稲荷大神のお使いであって、神さまそのものではない。稲荷大神にとってキツネは、熊野神社のカラスや八幡神社のハト、氏神さまの狛犬などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣だ。
これは中世の時代に、人間が持っている様々な欲望を直接神さまに祈願するのは畏れ多いとして、特別に選ばれた動物を通してお願いすることが行われたことによるものとのこと。
キツネがお使いとして選ばれたのは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついている。民俗学者の柳田國男も指摘しているように、日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」の信仰がある。これは春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って、山の神となるという信仰だ。
キツネも農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せていて、田の神が山へ帰られる頃に山へ戻る。
このように神道の原形である「田の神、山の神」と同じ時期に姿を見せるキツネの行動から、キツネが神使とされるようになった。
このキツネが稲荷大神のご祭神と混同されるようになったのは、平安時代以降の神仏習合により、稲荷大神が仏教の守護神、茶枳尼天(だきにてん)の垂迹(すいじゃく)とされたからという。茶枳尼天はまたの名を白晨狐菩薩(びゃくしんこぼさつ)と言い、キツネの精とされた。このことから、いつの間にか一般民衆の間で、稲荷大神のご祭神とキツネが混同して理解されてしまったというわけだ。
また、稲荷大神のまたの名である御饌津神(みけつがみ)の「ミケツ」が混同されて、三狐神(みけつがみ)と記されたことも一因と考えられている。御饌津神とは文字通り「御(=尊称)饌(=食物)津(=の)神」で、食物を司る神を意味していて、キツネとは全く関係はありません。
稲荷大神の信仰の起源は古く、しかも、稲作文化を育ててきた日本人に最も親しみやすい神さまとして永く崇敬されてきただけに、途中にさまざまな迷信や俗信、誤解が生じたり、附会されたこともあったそうだ。
豊川稲荷が何故寺なのかは上記の説明にも関係してきますが、詳しくは、豊川稲荷のHPをご覧下さい。