「人間の建設」(岡潔+小林秀雄)

 sunriseさんの勧めで読んだ。小林秀雄は受験時代の現代文で悩まされた。国語が苦手だった私には小林秀雄の文章は難しかった。それでも、「無常ということ」の中の徒然草の文章は憶えている。
 岡潔は学生の頃だったと思うが、「春宵十話」「春風夏雨」などを読んだ。奈良女子大の数学の教授で、数学者がこういう文章を書くのかと感心したことを憶えている。
 1965年に「新潮」に掲載された古い本だから、図書館で借りようと思っていたら、今年の3月に新潮文庫から出版されており、書店にならんでいた。これも何かの縁、私に読みなさいということだろうと買って読んだ。200頁足らずの薄い本だが、数学者と文学者が数学、文学、詩、科学などについてするどい対談をしている。
 この対談、二人が63,64歳の時になされている。改めて二人の大きさに驚く。岡潔の以下の話は新鮮な発見だった。

■数学は知性の世界だけに存在しえない。何を入れなければ成り立たぬかというと、感情を入れなければ成り立たぬ。ところが感情を入れたら、学問の独立はありえませんから、少なくとも数学だけは成立するといえたらと思いますが、それも言えないのです。
 最近、感情的にはどうしても矛盾するとしか思えない二つの命題をともに仮定しても、それが矛盾しないという証明がでたのです。だからそういう実例をもったわけなんですね。それはどういうことかというと、数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはいえないということがはじめてわかったのです。■

 岡潔はこの話の最後で、人間というものは感情が納得しなければ、本当には納得しないという存在らしいのです。と結んでいる。
 この数学の証明はとうてい凡人Henryが理解できるようなものではないが、“感情的には”妙に納得する。
 世の中、男女のなか、健康管理etc.、理屈、理性では納得できても感情が納得しないことが多い。
 アインシュタインの相対性原理、ベルグソンの「存在と時間」、プラトン本居宣長などについて、縦横無尽に語りあっている。小生には難しいところも多いが、これらも「情的」にはなるほどと納得する。
 日本人は「死を見ること帰するがごとし」とか、「愛情には理性が持てるが、理性には愛情は行使できない」、「知らないものを知るには飛躍的にしかわからない」、など素晴らしいフレーズがあちこちに出てくる。
 「『1』を知るには生後18ヶ月、『1』がわかるには、全身運動が必要である」、「時間が分かるようになるのは32ヶ月以降である」など、二人目の孫が生まれて孫の成育を見て、嫁にアドバイスしようと思う内容だ。
 この本、解説を茂木健一郎が書いている。よく書けていると思うが、二人の巨匠の語った内容に比べると、ちょっとまだ格が違うかなとの感は否めない。
 岡潔の本は、今、文庫本になって書店に並んでいる。「人間の建設」と併せ、ご興味のある方は是非ご一読をお勧めします。