お伊勢詣り その7 古市 麻吉旅館


 二日目の宿、古市の「麻吉旅館」に向かう。古市は内宮と外宮の間の参宮路で馬の背のような丘陵地。土地が狭いうえに水の便が悪く農地には向かない。そのため、人は住みつかず、鎌倉時代の頃からこの荒れ地に市が立つようになり、古市という地名になったという。
 参宮者が増えるにつれて天明年間(1781〜1789)になると古市に大遊廓が形成されていった。廓内には人家342軒、妓楼70軒、寺三所、大芝居二場の大遊里となり、僅か400mの道の両側に高楼をもった壮麗な妓楼や芝居小屋が軒を連ねたという。やがて、大芝居小屋がもう一つ増え、江戸や京都、大阪から名優がやってきて大興行を打つので、伊勢芝居は大歌舞伎に準ずる格式になったという。


 今では、当時の建物はほとんどない。200年続いているというこの「麻吉旅館」が唯一当時の面影を偲ばせている。
 そんな、歴史のある旅館のせいか、色々な有名人、俳優が泊まって色紙を残している。ドナルドキーン、岩城宏之西村晃小沢昭一立松和平沢田研二、田中裕子(ジュリーと二人で行ったのか?)、林真理子桂枝雀八千草薫etc.、他にもサインが読めないものも含めてそうそうたる人たちがこの麻吉に宿泊している。
 立松和平も2006年に「伊勢発見」(新潮新書)の中で「麻吉」について書いている。

 我々が行ったときは他の客がおらず、貸し切りだった。風呂が大きくないので一度に3,4人しか入れない。そんなわけで、女風呂も使っていいとのこと。Henry君は空いている方の女風呂に入った。古い旅館なので、どうということはないのだが、八千草薫も入った風呂に自分も入ったのだ!と思うと、助平Henry、何となく嬉しくなった。

 共同洗面所、トイレで、クラウチングスタイルで用足しのできなくなっている小生、困ったなと思って宿の女将に聞いたら各部屋にWesternスタイルがあるという。部屋に戻って探すと、縁側の奥を回った所にあって一安心した。
 観光協会の計らいで、地元の木遣り節を聞かせてもらった。こういう伊勢の老舗旅館で木遣りを聞きながらの宴会というのも乙なものだった。
 この麻吉旅館の「名月・雪香之間」は明治から昭和にかけて、「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれた政治家・尾崎行雄が書斎に使っていたというお気に入りでもあった。

 看板には、嘉永4年(1851)創業とあるが、文化3年(1808)に刊行された「東海道中膝栗毛」五編追加にも「麻吉」の名が見えているから、創業は210年以上前ということになる。参宮の原点を求めて利用する宿泊客が多いそうだ。明治の始めころには、「麻吉」専用の芸者を30人ほど抱える県下一流の料理旅館として知られていた。
 翌朝、出発前に宿の主人から、麻吉の蔵に保存されている、貴重な品々を見せていただいた。相当な値打ちものの文化財ばかりだ。
 当然のことながら、建物と設備は古いが、お伊勢詣りをし、いにしえに思いをはせるにはうってつけの宿であった。