「鬼平犯科帳」ゆかりの地 散策 <その2> &同期会

 小説上の長谷川平蔵の旧宅があったという津軽越中守下屋敷(津軽神社)から、池波正太郎も訪れていたという軍鶏鍋屋さんの「ぼうず志やも」を見て回った。小説の中で度々登場する「五鉄」のモデル候補にピックアップされている店という。なかなか風情のある店だが敷居が高そうだ。
 「ぼうず志やも」から少し東に進むと回光院という寺があり鼠小僧次郎吉の墓がある。長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、今も特に合格祈願に来る受験生があとをたたないという。墓石そのものを削られてはかなわないので、手前にこっちを削って下さいという石が置かれている。
 若い女性二人が一生懸命削って袋に入れている。何を祈願してかを聞き損なった。
 ところで鼠小僧次郎吉は実在の人物だったとか。これも調べ直さねばなるまい。
 回光院からさらに東に進と、なまこ壁で囲まれた吉良上野介義央の邸宅跡がある。かっての吉良邸は8400平方メートルを占める広大な屋敷で、当時の図面で見ると、部屋数が5,60ある。いまではそのごく一部のみを本所松坂町公園として残されているだけで、吉良家家臣二十二士の碑と、「首洗い井戸」のみが当時の物語りを思い出させる。碑の前にクロワッサンが供えられているのが、違和感があって面白かった。
 両国駅の方に戻る途中に両国小学校がある。校門の近くに古びた錨がある。これは日露戦争時代の駆逐艦「不知火」の錨だそうだ。


なぜここにあるのかの説明は書かれていなかったと思う。この小学校、かの芥川龍之介が卒業し、府立三中に進学したと正門の脇の“文学碑”に書かれている。この府立三中は今の都立両国高校である。
 小学校の奥にある小さな両国公園に「勝海舟生誕之地」の碑がある。同期の仲間と、「海舟座談」や「氷川清話」などの雑談しながら、なぜ勝海舟がここで生まれたかの議論になったが誰も知らなかった。
 錦糸町、両国と「鬼平犯科帳」ゆかりの地と周辺の歴史散歩をして、地下鉄森下町近くの「山利喜」で懇親会をやった。この店知る人ぞ知る飲み屋の“名店”で金曜日などは5時の開店の30分前から列をなして並ぶという。我々はW君があらかじめ予約してくれていたのですんなりと入れた。5時の開店と同時に予約席はすぐ満員になった。
 この「山利喜」のもつ煮込みとガーリックトーストという取り合わせが絶妙でうまかった。メニューに「くさや」とあるので、仲間に食べようと誘ったが誰も賛成しない。ウェイターに臭くないかと聞いたら大丈夫というので、注文した。皆、食べればうまいことは知っているが居酒屋で食べようとはしないようだ。それでも二人ほどつまんだ。同期の一人は「あとの予定?があるから?」と口にしなかった。
 とにかくも、楽しく、有意義な、「鬼平犯科帳」文学散歩、歴史散策&同期会でした。