「語る禅僧」(南直哉:ちくま文庫)

語る禅僧 (ちくま文庫)

語る禅僧 (ちくま文庫)

 南直哉早大文学部を卒業し26歳で曹洞宗において出家得度、永平寺で19年間修業。その後、福井県霊泉寺住職をし、現在は青森県恐山菩提寺の院代もしている。
南直哉のことは上田紀行のガンバレ仏教で知った。東京の青松寺という寺で「獅子吼林サンガというものを主幹し仏教改革に意欲的に取り組んでいる若手僧侶だ。
 そんなことで、どんな坊さんなのか、関心があった。茂木健一郎との対談本「人は死ぬから生きられる」(新潮新書)や「『正法眼蔵』を読む---存在するとはどういうことか」 (講談社選書メチエ)、「日常生活のなかの禅」 (講談社選書メチエ)、 「老師と少年」 (新潮文庫)、等を読んだ。文章は硬いが、感性の鋭い、論理的な文章を書くところが好きだ。
 この「語る禅僧」は南直哉が出家するに至った経緯が語られる。少年時代、小児喘息に苦しみ、生き難さを痛切に体験する。
 中学3年の春に出会った、平家物語の冒頭の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」に感動し、高校生の時に偶然見たという道元禅師の言葉「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。」に強烈な印象を持ったという。南は、この言葉が、「諸行無常」を自覚した人間がどう生きていくのかを語ろうとしているのだと直感したと言う。
 小さいときから“生き難さ”を体験してきた南直哉ならではの感性だと思う。
この本の中では、第二章「禅僧の言葉」として道元禅師の言葉、禅の言葉について、彼の体験に基づき、分かりやすく、親しみ深く語られている。仏教学者のお硬い本や、
有名な僧侶の書かれたものに比べ、ずっと腑に落ちる内容が語られている。
 第3章は、南直哉永平寺3年目の時に、突然、アメリカミネソタ州南部山中にある、曹洞宗の釣月山宝鏡寺というところに行かされ、そこでの体験話になっている。
言わば、突然のアメリカ駐在といったところだろう。英語は読めても話せない、聞き取れない状態からスタートしたそうだ。
 私も駐在時にアメリカ人の同僚と仏教談義をしたことがあるが、難しい高度な内容はなかなか話せない。ましてや、道元正法眼蔵の内容を英語で説明、議論するなど大変なことだ。南直哉がアメリカ人と苦闘している姿が目に浮かぶようだった。

 

同時代禅僧対談 “問い”の問答

同時代禅僧対談 “問い”の問答

ブログを書くに当たって、amazonを調べていたら、玄侑宗久南直哉との、同時代禅僧対談「“問い”の問答」という本が出ていることを知った。、玄侑宗久臨済宗南直哉曹洞宗玄侑宗久が慶応、南直哉が早稲田だから、禅宗の坊さんの“早慶戦”だ。なかなか中身が深そうなので是非読んでみたいと思っている。

 Unchiku語る遍理でありますが、最近はUnchikuを会話の中で語るのは、かなり控えている。しかし、Henry−Unchiku=0となっては寂しいので、遍理のアイデンティティ
を失わないために、Unchikuを書き、語り続けていきたいと思っている。