金沢文庫「運慶展」
A塾のOさんの企画で、金沢文庫の「運慶展」を見に行った。運慶のことはA塾に行き始めてから、折に触れT先生の講義でお聴きしたり、先生との湖北巡りや、常陸の国の史跡巡りなどで勉強させていただいた。また、先生の著書「国民の芸術」などでも予習させていただいていた。
三浦半島には今までに何度か行っているのだが、金沢文庫には行ったことがなかった。大学受験で仕方なしに勉強した日本史、人物、出来事、事柄など、例によって断片的にしか憶えていない。したがって、金沢文庫が誰が創立してどんな由緒があるのか、またしても行くまで知らなかった。
金沢文庫、鎌倉時代に北条実時によって創建された武家の文庫とのこと。なんで金沢なのかと調べると、金沢(かねさわ)北条氏といって北条氏の支流とのこと。
鎌倉時代、北条時政、政子、泰時、時宗など名前だけは覚えているが、実時とどういう関係なのか調べてみた。
北条氏が執権を15代続け、鎌倉時代が1185年から1333年まで、150年近く続いたことを復習した。
北条実時が創建した金沢文庫の隣の称名寺という寺に、大威徳明王坐像という明王像が、平成10年に発見され、それが運慶作ということが判明した。この像は高さ20cmほどの像で、本来は六面六臂六脚、神の使いである水牛にまたがって姿で表現されるという、バラモン教よりも古い時代の神で、バラモン教では敵に当たり、かって天界を支配した強大な阿修羅の王だという。
六つの顔は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)をくまなく見渡し、六つの腕は矛や長剣などを持ち法を守護し、六本の足は六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)怠らず歩み続ける決意を表しているという。
しかし、実物は三つの顔しかなく、一面はなくなっている。また、腕も二本がかろうじて途中まで残っている。足も水牛にまたがっているようではあるが、水牛はなく、足もない。顔と眼の表情が運慶作と言われればそうかなと思う。
他にも運慶の仏像が五,六点展示されていた。もっと多くの、大きい仏像が展示されているかと思っていたので、ちょっと期待が外れた。
展示物を見たあと、別室でT先生の画像による運慶の作品の説明が勉強になった。
興福寺の無著、世親像は運慶が法相宗の唯識思想を体現して、インド人のアサンガ(無著)、バスバンドゥ(世親)の像としてではなく、人間の意志と、その弱さを併せ持つ、一人の日本人の僧侶の二つの姿、また、諦念と慈悲の念のそれぞれの姿と、「国民の芸術」の中でも述べられている。
この無著・世親像は興福寺には二度ほど行ったが見た記憶がない。NHKテレビで数年前に詳しく取り上げられたときに見て、素晴らしい像だなと感銘を受けたことがあった。機会があれば是非実物を見てみたい。
T先生はまた、静かな悟り、慈悲をあらわす如来像や菩薩像だけでなく、怒り、忿怒の像を示す天部の像にも言及される。法隆寺金堂の「四天王」像、東大寺戒壇院の「四天王」像、新薬師寺の「十二神将」像など、みな戦いの姿、怒りの姿だという。怒りの像は日本美術史の中で、他の国にない特徴のひとつである。8世紀に密教図像の影響で、明王が忿怒像として作られ、怒りの表現が直接的になり、ある意味でグロテスクになっていった。
運慶による新たな時代の怒りは、人間的なものに変わっていった。それは超越的な怒り、静かな怒りではなく、肉体性を帯びた怒り、活発な怒りである。別な表現で言えば、真摯な怒り、品位のある怒りで、このような怒りの像は西欧にはないとT先生は説明した。
伊豆の願成就院の「制た迦童子」像、和歌山金剛峯寺の「恵光童子」像など、怒り以上に、ある力、エネルギーの発露が見られ、宗教的よりもはるかに民衆的な感情表現が身体全体に示されている。一方的な教訓を意味するのではなく、人間の多様な感情、様々な生き方をその像によって示していると言う。
今までに、高野山の金剛峯寺や運慶展などで運慶の作品はある程度見てきたが、上記のような見方で見たことはなかった。T先生の本や先生の講義を聴いて、私も多少は仏像の見方が分かってきた。これからも見る目を養い、真摯に仏像を見つめていきたいと思った。