A塾 古事記講義 その2 & 記紀神話とオリンピック

 今月のA塾(8/11)は先月に続き、古事記関連。オリンピックが間もなく終わるということもあって、先生からオリンピックの話。先生曰く、「オリンピックは西欧の弱肉強食の“勝てばいい”という論理だ」と。確かに、そういうところはある。日本人は金メダルが取れなくても、いい試合をした、よくがんばったということで、銀メダル、銅メダル、競技によっては、入賞でも評価されることが多い。 今回のオリンピック、日本の柔道があまり振るわなかった。現在の柔道のルールはよくわからず、一本技がほとんど決まらず見ていてこれが柔“道”かと思ってしまう。日本では古来、柔道、剣道、弓道と、何事も“道”として修行をする。そこでは勝つことだけが最終目標ではなかったはずだ。西欧の論理では、日本のそういう勝負の論理を理解することは難しいのではないだろうか。
 古事記では「出雲の国譲り」にも見られるように、戦闘と言うものがなかった。日本の神話は勝者、敗者を作らず、人を殺さないという。ヤマトタケルの話のように、個々の戦いはあったが、大きな殺し合いの戦闘というものはなかったのかもしれない。確かに神武東征など、生々しい戦闘の描写はない。
先生は、日本神話から今日に至るまで、西欧的論理に比べ、日本的論理が人間のあり方の基本だと言われる。

ロンドンオリンピックで、なでしこジャパン、男子サッカーや、女子バレーなどを観戦した外国の人は、その試合ぶり、成績、試合後の選手達の表情、態度から、他の国とはちょっと違う姿を感じ取ったのではないかと思う。最近の西欧の若者の中には、日本に関心を持って、日本に行ってみたいという人が増えているという。オリンピックを見て、更に日本のよき理解者が増えることを願う。
 今回のオリンピック、メダルの数はともかくとして、最近になく素晴らしい競技、試合を見せてくれたと思う。
オリンピックと記紀神話、一見なんの関係もなさそうだが、日本人の精神の深層を見つめようとするとき、古事記日本書紀などの日本神話を学びなおす必要があるのではないかと思う。