大石神社

2017京都駅から醍醐の姉の家に向かう途中、ふと見ると、大石神社とある。えっ! あの大石内蔵助の神社かと、タクシーを止めてもらって、ちょっと立ち寄り、参拝した。
 この大石神社は昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため大石内蔵助良雄公をご祭神として、大石隠棲の地に京都府知事を会長とする大石神社建設 会、山科義士会、また、当時浪曲界の重鎮であった吉田大和之丞 (奈良丸) を会長とするもの等の団体が組織され、全国の崇敬者により創建されたという。
 元禄十四年、赤穂藩浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下において、吉良上野介義央に対し刃傷におよび、内匠頭は即日切腹、御家断絶、領地没収となった。
 赤穂藩城代家老大石内蔵助良雄は城明け渡しの後、六月二十八日、以前からこの付近の田地、屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移った。閑静で人目につきにくく、かつ交通に便利で、事件の善後策を講じるのに何かと便利であり、この地でしばしば同志の会合を開いた。また、敵の目を欺くため、伏見撞木町、祇園一力亭などで遊興にふけった。はじめは、はやる同志をおさえて、亡主内匠頭の弟大学長広をたてて主家の再興を謀った。しかし、翌、元禄十五年夏、結局再興は許されず、吉良邸討入りに方針を固め、江戸に集結する前まで、この地に隠棲していたという。
 吉田松陰菅原道真徳川家康明治天皇乃木希典等々、日本は多くの偉人?が神になって?神社に祀られている。外国人から見るといかにも”不思議な国ニッポン”なのだろう。これも八百万イズムなのではないか。
 大石神社があることを初めて知った!

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