後期高齢者誕生会

息子二人の家族、新しい孫も加えて総勢9人、後期高齢者誕生会を開いてくれた。いつもながら私の揚げる天ぷらと刺身、差し入れのスペアリブ等を食し、ピノ・ノワール「MIURA」、グレンフィディック、シャンペンを飲みながら、楽しいひと時を過ごした。

スマートウォッチ

以前からスマートウォッチに興味があり、広告を見て欲しいなと思っていた。価格も機能もメーカーによってまちまちである。長男にどれがいいか教えてくれと頼んでいたら、私の後期高齢者誕生日にプレゼントしてくれた。外国製なので説明書は英語のみえ英語はわかるものの、後期高齢者には難しいガジェット、長男の助けを借りて、なんとかセッティング。  歩数計はもちろん、心拍数、睡眠の状況などを測定してくれる。スマホの電話やラインの着信も知らせてくれる。卓球の運動状況もわかる。他にもいろいろ機能があるようだが、使いこなすのは大変そうだ。  後期高齢者のオモチャ、頭の体操には良さそうだ❗

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後期高齢者誕生日を迎えました❗

 本日、無事後期高齢者誕生日を迎えました。
 多くの皆様からの誕生日メッセージをいただき有難うございます。
 思えば、親父と次兄が60で死去、長兄が75歳で死去。三浦の兄弟の中では男で私だけが残っている。ちょっと寂しいが、兄たちの分も長生きしなくてはと思っている。
 体力は衰えたが、今日も4時間の卓球は楽しんだ。最近は歳の近い先輩や知人、同年代の友人、知人の訃報が増えてきた。一方、未だ現役で、テニス、ゴルフを楽しんでいるが仲間も多い。
 健康管理に気をつけて、まだまだ孫たちの成長を楽しみたいと思っています。

結石再生産❓

 昨年まで毎年10〜20個の結石を作り排出してきたのだが、今年は何故か一個も生産がない❗加齢のせいで生産力が消滅したのかと喜んでいたが、腎臓内で静かに?生産が進んでいたようだ。一週間程前から右下腹部に違和感があり、押すと鈍痛がある。近くのクリニックでエコー検査を受けると腎臓に結石ができていると言われた。
 そんなわけで、11年前に膀胱鏡や尿路手術を受けたことのある、さいたま市立病院に行った。
 14年前に肺炎で入院したこともあるこの病院、今拡張工事を進め、益々大病院になってきている。相変わらず大勢の来院者で混んでいる。
 レントゲンとCT検査で腎臓を検査。いくつかの結石があったが、すぐに何らかの施術の必要はなしとのことで、水をたくさん飲んで排出するのを待つしかないようだ。
 まずは、大事に至らずに良しとしよう❗

「生死の覚悟」(南直哉と高村薫)[新潮新書]

「生死の覚悟」という南直哉と高村薫の対談本が目に止まった。この組み合わせ、何でだろうと思って読み始めたら、高村が「太陽を曳く馬」や「新リア王」で出家して曹洞宗永平寺で修行する禅僧が南直哉にそっくりだということがきっかけでもあったようだ。
 高村は4歳でカソリックの教会に放り込まれてから大学を出るまでキリスト教の価値観のもとにいたという。それが阪神淡路大震災を契機に仏教に出会ったという。一方、南は祖母の影響で若い時にキリスト教に帰依しそうになった事もあったという。そして、・・・31歳で永平寺に入山した。 そんな二人の対談、高村の書いた「空海」、南の書いた「超越と実存」などに触れながら、空海の仏教、親鸞道元の仏教について語り合い、信仰における ”信,不信”の問題について突っ込んだ対話をしている。
 
高村が思わず「あっ!」と声を上げたという、以下の如き、『超越と実存』の中の一節
 『信ずる行為そのものを脱落してしまうことによって行う念仏』
『信じるという行為を脱落してしまうことによって、信じる主語である〈私〉も消えてしまうし、信じる対象、つまり「〇〇を信じる」というその対象も消えてしまう。』
『「信じる行為」を消した先に(道元の言う)「身心脱落」がある』
 
私もこの箇所を読んで、18歳のときから読み続けている歎異抄の中の疑問、念仏に対するおりもののように溜まっていたものが溶解した。
 
早速、高村薫の「空海」と南直哉の「超越と実存」を読んだ。「超越と実存」は副題の”無常をめぐる仏教史”が示すように、原始仏教から龍樹、世親、無着の大乗仏教、中国仏教、最澄空海から法然親鸞道元に至る、仏教思想史を南直哉流に鋭く分析していて、よみごたえがあった。

Happy Half Birthday

3人目の孫が生後六ヶ月になった❗最近の世の中では、Happy Half Birthdayなるものをやるようだ。あっという間の六ヶ月だったが、新しい生命が日に日に成長し、身体、脳が発達していく様子がとても興味深い。
 これから先、一歳までどのように成長していくのか楽しみだ❗
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泰山木の花を見て想う

今年も泰山木の花が咲いた。ふと、年年歳歳花相似たりの詩を思い出した。ググってみると、唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の「白頭はくとうを悲しむ翁おきなに代かわりて」の漢詩からと知った。


古人復た洛城の東に無く
今人還た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔の子
応に憐あわれむべし 半死の白頭翁


樹も歳は取るのだが、泰山木の花は毎年大きな白い花を咲かせて楽しませてくれる。楽しむ自分は毎年歳を重ね、同じからずだ。白頭翁にはなったが、まだ半死には至っていない❗

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