神仏習合

 奈良時代に始まった神仏習合で、“神の仏もある”寺社が多くある。仏教哲学を若いときから好きで勉強してきた?Henryにとっては、“神も仏もある”寺社は節操がないようであまり好きではない。なかには仏も複数、神も複数祀っている寺社がある。○○菩薩、○○如来、○○地蔵、○○神、○○命、厄除け、安産、家内安全、商売繁盛、交通安全、etc.何でもござれだ。
 これでは神仏のデパートのバーゲンセールのようで、節操がなさすぎないか。と思うが、これが日本人の活力かもしれない。
 普通の大半の日本人は家の宗派のことも、いざ身近に不幸がないと知らない人が多い。おおかたの日本人はどんな宗教にもおおらかで特定宗教、宗派を拒絶することもない。それが外国人から見て日本人に宗教心がないと軽蔑されるゆえんでもある。悪くいえば宗教に対する節操のなさである。 しかし、八百万の神(仏)を受容する、縄文時代から自然信仰、シンクレティズム(混淆主義)のDNAをもつ日本人の信仰・世界観は今の西欧キリスト教世界、イスラム教世界にない新しい世界観を開く可能性があると思う。世の識者の多くがそういっているのだが、そういう日が来るのは早くても2050年頃とのこと。100歳以上生きながらえてそういう世の中に生きてみたいものだ。
 Unnchiku Henry 話が大きくなったが、ともあれ、
 私の長男の“お宮参り”も中山法華経“寺”だったようであります。