「建国記念の日」と「紀元節」

 今日は、建国記念の日の振替休日、紀元節がなぜ建国記念の日に変わったかは知っていたが、なぜ2月11日なのかあらためて調べなおした。古事記日本書紀の記述からきているのだろうとは思っていた。日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦に換算した2月11日を日本の紀元の始まる日として「紀元節」と名づけたとのこと。
 さらにこの日は戦前まで使用されていた「大日本帝国憲法発布」の日でもある。
 そもそも「神武天皇」に関しては、日本書紀の神代記に書かれているだけで、歴史学者の間では神武天皇は実在の人物ではないことは常識。記録に残されている生没が(紀元前711年生まれ、紀元前585年没)となっていて126歳で亡くなったということ。あくまで神話の世界のことだ。神話の記述をもとに、“紀元節”、“建国記念<日>”とするには無理がある。
 わが息子たちのような若い世代は、建国記念の日紀元節の歴史や意味などは考えずに単純に三連休を楽しんでいるのだろう。
 アメリカなどは独立記念日が“建国記念日”なのだろうが、世界の他の国はどのように“建国記念日”を決めているのだろうか。
 学校の先生方は、生徒に「日本の建国はいつなの?」「どうしてこの日をそう決めたの?」という質問にはどう答えるのだろうか。
 1966年に建国記念の日として再制定されるまでには色々な議論があったのだろう。私が学生の頃だったので、当時この問題が政界、マスコミで大きな議論になっていたことを少し思い出した。
 難しく考えなければ、休日が増えたことを喜び、単純にこの日を“日本建国の日”とみなして祝えばいいのだろうが、古事記日本書紀や古代史を少しかじってみると、あらためて2月11日の「建国記念の日」が気になった。

 以下は、Wikipediaの説明から転記しました。

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紀元節
日本書紀には、紀元前660年1月1日に神武天皇が橿原に宮を建てたとの記述があることから、明治政府がこの日を日本の建国を祝う日と定め、日本の紀元の始まる日であるとして紀元節と名付けました。
 明治5年11月15日(1872年12月15日)の太政官布告で1月1日を紀元節とすると定め、1873年1月1日をもってグレゴリオ暦に改暦されたので、その年の旧暦1月1日に当たる1月29日に紀元節の行事を行ました。しかし、これにより、旧暦の正月こそが正しい正月だという解釈が広く行われるようになってしまいました。この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると危機感を持った政府は、神武天皇即位の日を新暦グレゴリオ暦陽暦)に換算して、紀元節新暦の特定の日付に固定しようと考えました。水戸家の『大日本史』編集員であった藤田一正が、推古天皇以前の時代の日付について元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して逆算し、2月11日という日付を算出した。翌年からは2月11日に実施されることとなりました。この日には、宮中皇霊殿天皇親祭の祭儀が行われました。1914年からは全国の神社で紀元節祭を行うこととなり、民間でもこの日を建国祭と称して祭典を行っていました。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、1966年に建国記念の日として再制定されました。

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