NHK プロフェッショナル 辞書編纂者 飯間浩明

    NHKの「プロフェッショナル」で辞書編纂者の飯間浩明さんを取り上げていた。
通称「さんこく」と呼ばれている三省堂国語辞典の編纂者として、「三省堂国語辞典のひみつ」「辞書を編む」などの著作もある。
 辞書編纂者の言葉採集、用例採集のしんどさや、面白さ、苦労は、新解さんの謎」(赤瀬川原平:文春文庫)「舟を編む」「辞書になった男 見坊先生と山田先生」「辞書を編む」(飯間浩明「学校では教えてくれない国語辞典の選び方」(サンキュウ・タツオ)「辞書はジョイスフル」(柳瀬尚紀新潮文庫)等で興味深く読んできた。
 この日は、「黒歴史」「鉄板」「的を得る」など、面白い話だった。
 
 黒歴史(くろれきし)とは、アニメ作品『∀ガンダム』に登場した用語。物語中では、太古に封印された宇宙戦争の歴史のことを指す。 転じて、無かったことにしたい、あるいは無かったことにされている過去の事象を指すインターネット用語として用いられることもある。私にも黒歴史はあるかな?
 
 「鉄板」は鉄の板が「硬い」ことから、「堅い」にかけ、ギャンブルや芸人の世界で「間違いない」「確実な」といった意味で使われている。本命。定番。競馬・競輪などでの用法が一般化したもの。 
 
 黒歴史、鉄板も知らなかった。最近では若者が使うインターネット用語など息子たちに教えられることも多い。
 
「的を得る」は正しいか? もとは弓の”的を射る” なのだが今では”的を得た表現”などの用例付きで「三国」には取り上げられている。因みに、我が家の「新明解国語辞典」「岩波国語辞典」「ベネッセ表現読解国語辞典」「角川必携国語辞典」などには”的を得る”の用例紹介はない。
 
 飯間によると、”的を得る”の表現は現在は50%以上の人に承認されているという。言葉は時代とともに変化する。”ら抜き言葉”は今でも違和感があり、私は使わないが、若者の間ではほとんど100%近く”ら抜き”ではないだろうか。
 辞書の改訂版を出すたびに、どのような新語を取り上げるか、どのような語釈、用例を採用するかなど、大変な作業があるという。
 
 この番組を見て、飯間さんの他の本も読みたくなり「遊ぶ日本語不思議な日本語」(岩波アクティブ新書)をネットで注文し、見坊豪紀の「ことばのくずかご」を図書館で借りた。しばらくまた言葉散策が楽しめそうだ。

ProntoでCaffee?を飲む

 川崎駅駅中のProntoでコーヒーを飲んだ。と、店内のCaffeeのスペルが気になった。Coffeeが正しいのではないか? Prontoはイタリアンフードも出すので、イタリア語ではないかと、念の為スマホで確かめた。イタリア語ではCaffeeとなっている。ついでに、ドイツ語、フランス語などしらべてみた。
 ドイツ語Kaffee、フランス語Cafe、スペイン語Cafe、オランダ語Koffie、トルコ語Kahve等々。因みに日本語漢字では珈琲、中国語では日本の漢字をまねて”咖啡”となっているのも面白い。
 私がコーヒーを飲み始めたのは高校時代からだろうか。コーヒー通ではないが毎朝一杯のコーヒーは飲む。あとは町に出たときに飲むくらいだ。
  
 珈琲の起源を調べてみると、有史以前から珈琲豆はあったようで、西アフリ楽しみの一つでもあるカやエチオピア、中東イスラムあたりから世界に広まったようだ。語源的にはエチオピアのqahwa(カフワ)や、エチオピアのコーヒー産地Kaffaあたりが起源らしい。日本には18世紀末にオランダから伝わったという。
 
 今は、紙の辞書を調べなくてもスマホGoogle翻訳で世界中の言葉をすぐ調べることができる。言葉散策好きの小生にとっては暇つぶしの楽しみの一つでもある

卓球荻村杯ジャパンオープン 張本、伊藤美誠優勝

卓球荻村杯ジャパンオープン
張本が中国の馬龍、 樊 振東、張継科を破って見事優勝した。伊藤美誠も今まで7戦して勝てなかった中国の王曼昱(おうまんいく)を破って、優勝。今まであと一歩のところまでいって勝てなかった中国の壁を破って、男女とも優勝したのは見事な勝利だった。
 二人とも、瀬戸際まで追い詰められてからの逆転勝利は、技術のみならず、精神的にも成長が見て取れた。これで、東京オリンピックの金メダルを期待するのはまだ早いかもしれないが、日本卓球がやっと中国に追いついてきた感があり、頼もしくなってきた。
 若手の成長は目を見張るものがあるが、水谷、石川等のベテランにも頑張ってもらいたいものだ。

「夫の後始末」曽野綾子

 家人から勧められて、曽野綾子の「夫の後始末」という本を読んだ。夫とは三浦朱門の事。昨年2月に91歳で亡くなっている。曽野綾子は5歳年下の86歳だ。
 同じ三浦ということで以前から気になっていた作家夫婦だが、夫婦ともクリスチャンということもあってか、二人の本は一冊も読んでいない。
 糖尿病と多少血圧高めで薬は飲んでいるが、これといった特段の病気はない私であるが、家人から見ると、近頃私の老化が進んでいると判断しているようだ。そんなこともあってか、心配性の家人は、近未来の?私の介護、家人自身の病気、生前整理、終活などについて、いろいろとご忠告いただく。
 そんなわけで、家人の勧めの本や、終活関係の本も自分なりに読んでいる。書籍もガラクタもだいぶ整理してきたが、仏教や哲学関係の本ではまだ捨てられないものも多い。これからの人生?でどれだけのものを読むか分からないが、何かのきっかけで書棚から引っ張り出すこともある。二度と読むことはないだろうなと思うものは捨てるようにしている。どうしてもまた読みたくなった本があれば、図書館で借りるか買えばいいと家人言う。さもありなん。
 どのように夫の後始末をしてもらう事になるのか? はたまた、私が家人の後始末をすることになるのか? それが問題だ!

みゆき塾 徳川家康を聴く

川崎での「みゆき塾」今日のテーマは”徳川家康” 私は古代史には興味があり、古代物はそこそこ読んできたが、戦国時代、室町、鎌倉、江戸時代については、大河ドラマも見ないし、本も読まないので、ほとんど知らないことばかりだ。
 今回は塾のホストのK先生が、今まで読まれてきたことも含めて、10日間あまり、A48頁もの資料を作成しおはなしをしてくれた。
 家康の出生、今川家との関係、11人の男子の事や、今川家の名僧、田原雪斎や影響を与えた、以心崇伝、天海僧正のことなど、教えられることが多かった。
 
 最近は好奇心の減退か、書店に行っても読みたいと思う本が少なくなった。自分から好奇心を刺激されるところに動かなければとも思う。そういう意味でも、この塾では自分の知らない世界を教えられることが多く、知的好奇心を刺激される。
 勉強会、講話が終わった後は、Kさん家庭料理をいただきながらの、四方山話、懇談の場となる。今回はOさんのオーストラリア紀行、エアーズロック登山の話など興味深い話が聞けた。
 平均年齢70数歳だが、皆さん好奇心旺盛で勉強家だ。こういう会合に参加するのは、張り合いもあり、老化防止にもいいことだろう。

 先月5月の17日、金戒光明寺を見たあと、法然院に行った。法然院は、以前一人で南禅寺から永観堂銀閣寺を散策したときに、前を通ったのだが中には入らなった。
 元は浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28年(1953年)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる。正式名は、「善気山法然院萬無教寺」と号するが、院号の「法然院」で名が通っている。別称「本山獅子谷法然院」とも言われている。
元同じ会社に勤務した、京都に住むOさんが、よく法然院管主梶山真幸さんの講話を聴きに行くという話を聞いていた。また、この梶山さん、法然院サンガという活動もされていて、ユニークな方だ。
 そんなわけで一度行って見たかった。残念ながら今回は時間が合わず法話は聞けなかった。
 法然院哲学の道沿いにあり、銀閣寺も近く多くの外国人が来ていた。
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京都 金戒光明寺

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先月16日に京都に行ったついでに、金戒光明寺という浄土宗の七本山の一つに行って来た。「京都ぶらり歴史探訪」という中村芝翫の番組で紹介されていた。
 家人が会津藩びいきなのでぜひ行って見たいとのことだった。
 承安5年(1175年)春、法然比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然は、ここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるという。
 親鸞に興味を持った18歳から、今日に至るまで、親鸞法然関連の本はたくさん読んではきたが、この金戒光明寺については法然ゆかりの寺とは何も知らなかった。
 また、徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。
 京都守護職松平容保新選組にもゆかりの深いお寺ということも今回知った。三重塔に向かう段差の厳しい階段を上り、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士312名の菩提を弔っているという墓所をお参りしてきた。
 帰宅してから調べたら、出家した熊谷直実が庵を結んだという蓮池院という庵もあったという。見損なったのが残念だ。秋の紅葉の頃はまた素晴らしいようだ。機会があればまた行って見たい、風格のあるお寺だった。

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