「メッソウもない」:与野イオンHADOWSにて日本語勉強

 与野のイオンの中のHADOWSというステーキレストランでよくコーヒーを飲む。ランチ時を過ぎるとすいていてBGMでジャズを流している。家内の買い物を待つ間、本を読みながら一服して待つには心地よい空間だ。
 コーヒー一杯で2時間くらいいても嫌な顔をされない。おまけにウェイター、ウェイトレスさんが笑顔で水のお代わりをくれる。3回目の水を注ぎに来てくれたのかと思いきや、若い日本人離れしたいい男(古い言葉だけど、イケメンという言葉は品がないので使いたくない)の店長(マネージャー?)が新しいグラスの水を持ってきてくれた。ひねくれた客ならば、新しい水を持ってきたからそろそろ帰ってよ、という意味と考えてもおかしくない。人のいい!?、Henry君は何事も素直に善意に、好意を受ける主義である。それでも、新しいグラスで水をもらうのは恐縮したので、コップを洗うのがもったいないから注ぎ足してくれればいいのにと言った。件の好青年、すかさず、「メッソウもない」!、一緒にコーヒーを飲んでいたカッカリーヌさんとヘンリー君、目を丸くした。歳のころは30前だろう、いまどきの若い人が「メッソウもない」なんて言葉使いをするのは聞いた事がない。
 そこで、店長さんを含めて4人でしばし日本語の授業。ところでメッソウをどう書くか若い店長さんに聞いてみた。「滅相」と書くことは知らなかったようだ。この店長さん前任の店長さんから譲り受けたという本を10数冊を持ってきて、こういう本でお客商売の言葉使いを勉強しているとの事。
 「滅相もない」という言葉も死語になりかけているのだろうか、時代劇では聞いた事があるけど、日常的には数十年聞いた記憶がない。
 薀蓄Henryも滅相の正確な意味、由来は知らなかった。家に帰って、広辞苑と仏教語の本を調べた。

 滅相は生・住・異・滅の四相の一つで、すべてのものは滅びゆく相を持つ意味。そこで「滅相もない」は“滅相なことはあってはならない”ということから“むやみやたらなさま”、“とんでもない”という意味に使われるようになったという。
 ということになると、件の店長の使い方もちょっと違うかなという気がする。店長は“とんでもないこと”をしたのではなく、“とんでもございません”(そんなことはございません)という意味で使ったのだと思う。
 その店長、「オアイソ」:「お愛想」は客が使うのではなくお店側が使う言葉だと教えてくれた。そういえば、客が店に金を払う時に“愛想”を使うことはないか。でも「愛想」をお互いにふりまけば世の中明るくなるではないか。
 歳をとっても、一日に何か一つ新しい発見や出会いを体験することは勉強になり楽しい。

 このHADOWSという店、浦和美園のイオンにもあり、かなりのチェーン店のようです。
 ランチは1000円前後でドリンク付きで食べさせてくれる。ディナータイムは、ひと月に3日ほどJazzのライブを聴かせてくれる。我家からは車では15分程なのだがバスで行くとなるとちょっと不便である。ライブを聴きに行きたいのだがタイミングが合わないのでまだ行けていない。店内は落ち着いた雰囲気で、Jazz Musicianの写真やノーマン・ロックウェルの絵がたくさん飾られておりインテリアも楽しめる。
 お近くの方は買い物のついでに立ち寄られては如何でしょうか。