「数に強くなる」(畑村洋次郎:岩波新書)

 Henryくん小学校時代は算数、図形には強かった。小五の時、担任の先生が休みで、校長先生が代理で算数の授業をしてくれた。このときかなり面倒な図形の面積計算の問題が出された。校長先生、この問題ができた生徒は先生の頭をぶってよろしいとのこと。小生、この問題を素早く解き、校長先生の頭をぶたせていただいたことが今でも思い出になっている。小六では、例の鶴亀算、仕事算、植木算などが楽しくてしょうがなかった。中学に行って代数をやり出したら、なんだ、小学校のややこしい文章題は代数なら、考えずに、こんなに簡単に解けるのかと感心した。
 代数を覚えると、算数能力が低下することも分かった。高校、大学と難しい数学はそれなりに面白かった。しかし、技術者や数学を専門的に使う職業でない限り、社会人としては数学はあまり必要ではない。数学的思考は必要であるが、むしろ社会では、畑村さんが言うように、数(すう)よりも、数(かず)の感覚が大事なのだと思う。
 工学部を出たのだが、専門課程をあまり真面目に勉強しなかったのを会社の人事部に見抜かれたのか、実家が商売人だったのでその遺伝子を買われたのか?、配属部署は営業部門、売上とか利益とかの計算には微分積分はいらない。計数感覚と数(かず)の感覚が大事だ。
 私が定年を迎えた会社は情報サービス産業、いわゆるIT企業だった。社員はかなり優秀で北大、京大、阪大、名大ほか有名私大の数学科、物理学科、工学部出身者などが多かった。プログラム設計やシステム設計は素晴らしいが、経営的計数感覚、数(かず)感覚の強い社員はあまりいなかった。文科系出身の社長や、役員に計数感覚の弱さをよく馬鹿にされていた。という小生もあまり計数感覚はよくなかった。
 国内、アメリカと、二度にわたって上司となった方で、恐ろしく計数感覚の鋭い方がいた。何十枚もの売上・利益試算計算書を見せに行き、承認をもらいに行くのだが、突っ込まれたらやばい個所をさっと見つけられてしまう。出直して来いと一喝される。その上司、いくつかのキーナンバーを持っていて、それを割ったり掛けたりして、自分の経験知と比較し、問題点、矛盾点を素早く見つけているのだろう。こういうのも、畑村さん言うところの、自分の“かず”をもっているから素早く暗算ができるのだろうと思う。
 畑村さんの「数に強くなる」を読んで、こんな昔のことを思い出した。

数学ではなく、数でもなく、あらためて“かず”を考えてみるのも必要なことだと思った。