文の日・大暑

 今日は文月(7月)の23日、もじって「文の日」だという。1979年に制定されたというから、28年も前のことだ。この歳まで知らなかった。郵便局では百人一首をあしらった記念切手が発売されているという。
 最近は、PCや携帯のメールで済ませてしまい、手書きの手紙を書くことは少なくなっている。私は、心をこめたいと思うときはできる限り手書きの手紙を書く。時には下手でも筆ペンで書いたりする。 最近の小中学生や若い人は、手書きの手紙を書くことなどほとんどないのではないだろうか。学校は夏休みに入っているけれど、先生は文の日くらいは、おじいちゃん、おばあちゃんや、両親、兄弟、親戚などに手紙を書くことを奨励したらどうだろうか。私の孫はまだ零歳なので無理だが、孫から手紙をもらえるようになったらうれしいだろう。もっとも、愛すべきじいちゃんにならなければ手紙はもらえないだろう。息子たちも駐在先からの手紙はもらったことはあるが、社会人になってからもらったことがない。
 手書きの手紙を書こうとすると、いくつかの漢字が、辞書を引かないと書けないものが出てくる。PCや携帯での文書作成と違って、手書きの文章や手紙を書くことは別の思考力を必要とする。PCのようにコピペ(コピー・アンド・ペースト)ができないから、書き直しをしなくてすむように、文章校正や誤字脱字に気をつけなければならない。
 7月23日は、また、二十四節気の「大暑」、この前の「小暑」との間を“暑中”として、この間に暑中見舞いを書くのだという。
 昔は、自分も暑中見舞いを書いたが、今は書いていない。暑中見舞いをくれる方もほとんどいなくなった。PCのメールの頭語として書くくらいだ。それだけ、世の中忙しなくなっているのだろう。昔は、梅雨明けして、夏休みになってから暑中見舞いを出していた。もうその頃は「残暑見舞い」にしなくてはいけないのだと、だいぶ後になってから知った。陰暦の意味などよく分かっていないころだったので、実際の気候と違うことをなぜ書くのだろうと思った。

 デジタル化がますます進歩している昨今、二十節気の季節の変わり目など、何かの折に、恩師、友人、お世話になった方などに、手書きの(アナログの)大切さを忘れないように、「文」をしたためたいと思う。