マンションの防災会議のメンバーで1年の締めくくりの会議をし、そのあと慰労会を1,000円会費でささやかにやった。飲み物、食べ物はささやかだったが、慰労会の内容は豪華であった。
我がマンションも高齢化が進み、集まったメンバー13人の内、50代は一人だけ。70代の方がお一人で残りは全員60代。まだ働いている方も数人いるが、大半がそれぞれ企業戦士として戦ってきて、自分のやってきた仕事に関しては一家言を持っている。
そういう人たちの中で、1940年生まれの方が二人いた。その一人、Kさんの近況報告の中で、「私は皇紀2600年生まれです」と言われた。神武天皇が生まれた時を元年とする数え方だということはすぐ分かったが、恥ずかしながら、“皇紀○○年”という言い方を知らなかった。ご存じのように、「紀元節」、「建国記念日」「建国記念の日」「靖国問題」などで多くの議論がされてきているように、神武天皇の生年は日本書紀に記載されたものから決めている。神武天皇の話は、神話、伝説上のことで、歴史的事実ではない。
ということで、この皇紀で数える年号は根拠がないということで、当時から問題とされてきたようだ。
もう一人、今年還暦を迎えた、若い? Yさんが、ゼロ戦の「ゼロ」は皇紀2600年の下二桁の「00」が「ゼロ戦」の由来と教えてくれた。家に帰って調べると、皇紀2600年のことや、ゼロ戦のことがよく分かった。太平洋戦争のただ中、当時の軍用機は採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。
零戦が制式採用された昭和15年(1940年)は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」になったため「零式」という名称になったとのこと。「日本史」、「昭和史」をよく勉強していないと、こういうことも知らずに、60数年生きてきたことが恥ずかしい。アメリカ人に「ゼロファイター=ゼロ戦」のゼロは何に由来するのかと聞かれて説明できないようでは、日本人として恥ずかしいなと思う。
もうひとかた、70代の満州生まれのSさんが、皇紀2600年に作られた「奉祝日本国民歌」という皇紀2600年を祝う歌を口ずさみ始めた。2600年(昭和15年生まれのKさんも一緒に歌い出した。父や兄が歌う軍歌はかなり憶えているが、この歌は知らなかった。インターネットで検索したら、以下のような歌詞だった。
金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて
いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年
あゝ 一億の胸はなる
歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて
はるかに仰ぐ大御言(おほみこと) 紀元は二千六百年
あゝ肇國(ちょうこく)の雲青し
荒(すさ)ぶ世界に唯一つ ゆるがぬ御代に生立ちし
感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年
あゝ報國の血は勇む
潮ゆたけき海原に 櫻と富士の影織りて
世紀の文化また新た 紀元は二千六百年
あゝ燦爛(さんらん)のこの國威
正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん
力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年
あゝ彌榮(いやさか)の日はのぼる
当時の若者達がこういう歌を歌わされて、ゼロ戦に乗って散っていったのかと思うと考えさせられるところ大でありました。