島根紀行 その1 出雲大社
3月20日、羽田発8:15発出雲行きに乗る。低気圧が来ていて東京は雨だった。出雲空港の気象状況も良くないようで、天候状況により、出雲空港に着陸できない場合は、伊丹もしくは岡山空港に着陸する可能性もあるとの掲示がでている。ここまで来たら心配してもしょうがない。ケセラセラ(なるようになるさ)で搭乗した。 大した揺れもなく、無事着陸した。
空港には、高校時代からの友人I君夫妻が迎えに来てくれていた。
早速、出雲大社に向かった。
出雲大社の「本殿遷座祭」が平成25年に行われるために今年から準備が始まっている。伊勢神宮も平成25年に式年遷宮が行われるということで、日本の二大神様が忙しい。同じ年にというのは珍しいようだ。伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮があるが、出雲大社は60年ぶりの大遷宮とのこと。出雲大社は60年ごとにとは書いていない。次の遷宮はいつになるのだろうか。
前回2001年に行ったときには、ちょうど前年に発見された「心の御柱」の発掘現場を見た。(2001年当時:画像左)
今回は、「心の御柱」と同じ直径の3本の柱がデザインされた敷石が参道に埋め込まれていた。
出雲大社に隣接して、古代出雲歴史博物館という施設ができていて、平安時代の出雲大社の1/10模型や、石見銀山の銀、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡から発掘された、銅剣、銅鐸など、出雲の歴史が分かりやすく展示されていた。
I君はこの地方一帯ではかなりの有名人、名士になっているので、この博物館の学芸員も知り合いのようで、その学芸員さんが、歴史学者並みの詳しい説明をしてくれた。
古代の出雲大社の高さと、その形は、多くの学者が色々な説や模型を作っている。まだ、その有り様は確定できていないという。
古代史そのものにも、まだまだ多くの謎がある。近畿、北九州、出雲に関わる古代史ものを数冊読んだが、神々の名前が憶えづらいのと、色々な学者の諸説がこんがらがって、余計、分からなくなる。以前読んだ出雲関係の本を、読み直してみようと思う。
<その1>は、ひとまず、このへんで。