「日本の美徳」(瀬戸内寂聴・ドナルド・キーン:中公新書ラクレ)

 家人の勧めでドナルド・キーンさんと瀬戸内寂聴さんの「日本の美徳」を読んだ。以下のamazonの紹介にあるように、ともに96歳の二人が生き生きと、日本及び日本文学について語っている。
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ニューヨークの古書店で『源氏物語』に魅了されて以来、日本の文化を追究しているキーンさん。法話や執筆によって日本を鼓舞しつづけている瀬戸内さん。日本の美や文学に造詣の深い二人が、今こそ「日本の心」について熱く語り合う。日本の古典が愛読されている理由、文豪たちとの貴重な思い出、時代の中で変わっていく言葉、変わらない心…。ともに96歳、夢と希望を忘れない偉人たちからのメッセージがつまった“日本への贈り物”対論集。
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ノーベル文学賞をとれなかった三島由紀夫、とった川端康成ノーベル文学賞が二人の自死の一因になったのではないかとか、紫式部清少納言が二人とも美人ではなかった。紫式部のほうが優秀だが、清少納言のほうがもてた。紫式部清少納言をライバル視して、盛んにけなしていた。等の寂聴の話は面白かった。
 また、間もなく退位される天皇皇后両陛下についてキーンさんの言葉に敬服させられる。
源氏物語はいまだ通読できていないが、現代語訳か漫画の源氏物語を読んでみようかと思っている。

読初め

 ドナルド・キーンの「日本人の美意識」と「日本語の美」を読んだ。今までにキーンさんの本は何冊か読んできたが、改めて、キーンさんの永年の日本文化の研究、日本語での読み書きの凄さに驚嘆する。母国語が英語であるからこそはっきりとわかる日本文化の特徴、たとえば日本語に置ける主語の曖昧さや、一つの表現から複数の解釈が可能なものについてキーン氏による鋭い指摘がなされている。藤原定家の「みわたせば花も紅葉もなかりけり裏のとまやの秋の夕暮」という表現の場合に、これは秋が終わりつつある時期を指しているのか、あるいは、ある秋の日の夕暮れ時をさしているのか、という事例が紹介されている。
 こういった、日本語、日本文化の「暗示」「余情」ないし不規則性、簡潔、ほろび易さ等について、日本人の見落としがちな、視点、解釈などを教えてくれている。
 「日本人の美意識」の中では、一休宗純の頂相と文章が興味深かった。一休については断片的な知識しかなかったが、狂雲集など、改めて読んでみたくなった。
 

〈2018年 読み納め 松岡正剛「面影日本」〉

 松岡正剛の千夜千冊エディション「面影日本」を読んだ。久し振りに知的好奇心を刺激される本を読んだ。
 松岡正剛が千夜千冊で紹介してきた、"面影をうかがう日本" の中から、枕草子西行、定家、方丈記徒然草、心敬などを紹介しながら「常世、鳥居、正月、翁、稜威」という五つのキーワードに即し、面影とはなにかについて、松岡正剛の該博な知識をベースに興味深く紹介されている。424頁の文庫にしては厚い本だったが一気に読んだ。
第一章 面影の原像
山折哲雄『神と翁の民俗学
山本健吉『いのちとかたち』

第二章 をかし・はかなし・無常・余情
清少納言枕草子
和泉式部和泉式部日記』
西行山家集
堀田善衛『定家明月記私抄』
鴨長明方丈記
吉田兼好徒然草
唐木順三『中世の文學』

第三章 連鎖する面影
三浦佑之『浦島太郎の文学史』六三五夜
石田英一郎『桃太郎の母』一二四四夜
近藤信義『枕詞論』
心敬『ささめごと・ひとりごと』
西郷信綱梁塵秘抄

第四章 ニッポンを感じる
ドナルド・キーン『百代の過客』五〇一夜
渡辺京二『逝きし世の面影』一二〇三夜
アレックス・カー『美しき日本の残像』
ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』

 などなどが紹介され松岡の目で分析されている。どれも好奇心を起こさせてくれるが、来年の読初として、山折哲雄『神と翁の民俗学』、堀田善衛『定家明月記私抄』、西郷信綱梁塵秘抄』、ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』等を読んでみたいと思っている。
 

今日の月は上弦or下弦?

"上弦の月だたっけ、みょうーに、色っぽいね" 
 深夜、ベランダから月を見ると半月! さて、上弦の月か、下弦の月か気になってググってみた。弦が上に見えるので上弦かと思ったが、下の解説にあるように、下弦の月であることが分かった。

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12月29日 am1:00撮影右が下弦の月

 

 

ブックブック12冊目

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ブログを始めてから13年、ブログブックも12冊目になった。昨年分2017年版を本にした。最近はフェイスブックに書くことが多く、ブログに書く記事は減って本も薄くなった。読書感想やそぞろ歩きの記事を自分の記録として書き続けてきた。
 いつまで続くか? だが、頭がボケるまでは続けたい!

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「日本文学の古典」(岩波新書)を読む

 先に書かせていただいた、岩波「図書」の”はじめての新書”で紹介されていた「日本文学の古典」を読んだ。源氏物語平家物語枕草子方丈記徒然草、などの他、能、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃などいろいろな古典を要所を抑えて紹介、解説してくれている。このような日本の古典がどのような歴史的背景の中で書かれてきたかがよく理解できた。
 私にとっての好きな古典は、徒然草方丈記風姿花伝あたりだろうか。源氏物語平家物語も拾い読みはしてきたが、通読はしていない。源氏、平家や徒然草も読み返してみたいと思う。
 
 この本の中で徒然草の百五十五段を紹介していた。以前にも読んだことがあったのだが、あまり印象に残っていなかった。今回読んでみて改めて素晴らしい文章だなと思った。読みながら、蓮如の「白骨の御文章」を思い出したが、徒然草のこの文章のほうがいいのではないかと思った。
 以下にご参考に百五十五段の後半部を転記しました。
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春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月(かんなづき)は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟(つぼ)みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取る序(ついで)、甚だ早し。生・老・病・死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期(しご)は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。
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里の秋も葉が落ちたが、早くも蝋梅の花が咲いたところもあると聞く。”冬来たりなば、春遠からじ” 
上記の文章に感じ入るところが多くなったのも歳を重ねてきた証なのだろう。