防災リーダー研修会

さいたま市自主防災組織連絡協議会主催の「防災リーダー研修会」に参加した。私の住んでいるところは、通称「東新井団地」と言って、28棟、700戸のマンションとこの周辺の100数十戸の戸建ての住民で「東新井団地自治会」というものを組織している。昨年管理組合の理事長をした関係で、今年は自治会の自主防災会設立の委員会のメンバーを務めている。そんなわけで講習会に行ってきた。
 さいたま市の各地区から防災会関係者が1500人ほどだろうか、
参加している。中には若い方がぱらぱらと見受けられたが、ほとんどは60歳以上の高齢者だ。改めて高齢化社会を実感する。
 さいたま市長のお定まりの挨拶のあと、阪神・淡路大震災を体験した、「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」の“ボランティア語り部”と称する、山崎主知子さんという方が講師で話をされた。50年にわたり「地域に生きる」をポリシーとして、地域ボランティアとして生きてこられた主婦という。
 学者やいわゆる先生方のお話でなく、主婦の生々しい被災体験からの話は説得力があり、ユーモアも交えてのはなしながらも、被災時、被災後の話には時々目頭が熱くなるものがあった。
 
 この講師の方は、東灘区に住んでいた。一戸建ての建売住宅に住んでいたが、23年経ち色々と老朽化してきたところもあり、思い切って、軽量鉄骨2階建てに立て替えた。建替えたことで震災では家が倒壊せずに家族全員無事だったとのこと。周りの家はほとんど半壊、全壊したとのことでした。
 神戸・淡路大震災はあれから12年経った。記憶が薄れてきたが、今日の話で、電気は4日目に灯いたが、水は40日目、ガスは64日目だったと改めて聞いて驚いた。幸いに家が壊れなくても、自宅で風呂には入れず、トイレの水洗も40日使えなかった。毎日の家族の糞尿はビニール袋をトイレにセットしてした。その袋に張り紙をして、市の清掃局が持っていってくれたという話は生々しかったが説得力があった。
 講演が終わって、「海外の大災害時には暴動、略奪があったけど神戸はどうだったのか」との質問に対して、講師は「市長は一切ありませんでしたと、言っていますが、実際はありました」とのこと。 私も、ニュースや、いくつかの本の中で、日本はそういうことのない“美しい”国と認識していたので、そう聞いて、いささか残念な気がした。講師も言っていたが、水も、食べ物もないという状況の中で、近くのコンビニ、商店が窓もガラスも壊れている、人は誰もいないということであれば、略奪とは言わないまでも、“生きるために”“いただく”ということの方が人間らしいのではないだろうか。自分もそういう状況であれば、恐らく“さるべき業縁のもよおせば・・・”してしまうのではないかと思った。

 我団地の自主防災会はやっと設立の緒についたばかり。これから色々と取り組まなければならないことが多い。大災害の時は最後は自己責任になるのだが、地域としての自主防災活動ももっと推進しなければならないと思う。
 講師が繰り返し強調していた『家族・近隣・地域』をもっとみんなで真剣に考えなければいけないと痛感した次第。