「林住期」(五木寛之)と隠居学

 図書館に「林住期」をリクエストしたら、予約者が多くて2カ月くらいしてからやっと回ってきた。ベストセラーになっているので希望者が多かったのだろう。買って残すほどの本ではないかなと思ったので、図書館で借りた。
 林住期について、五木寛之が力を入れてまとめたものかと期待したが、今までに書かれている五木寛之の内容が多く、林住期について、ことさら新しい発見はなかった。この本も、出版社に依頼されて、五木寛之が話したこと、いろいろな所で書いたものを、「林住期」というタイトルでまとめたものだ。だから、林住期とは関係ない内容も含まれている。そのへんのところが物足らなかった。
 林住期とは、人間の寿命を100歳として、その四分割をそれぞれ学生期、家住期、林住期、遊行期として捕え、50〜75歳に対応する期間をいう。五木寛之の「林住期は再出発ではなく、これまでの経験を土台にしたジャンプである」という考えには同感だ。
 私は、まさに林住期の真ん中。家住期からジャンプした人生を送っているとは言えないが、少なくとも学生期、家住期をそれなりに充実した人生を送ってきた。50歳でアメリカ駐在から帰国し、ただ、金や組織のために働くということではなく、“こころの出家”をしながら定年を迎えた。まだ、ひとさまのお役に立ちたいという気持ちはあるが、金のため、組織のために、いまさら“宮仕え”をしたいとは思わない。また、“○○のために”とか、目標を立てて自分を縛るような生き方もしたくない。“必要”ということから離れた、心のおもむくままの、読書、趣味という“道楽”をして、“花鳥風月とともに生きる”生き方がしたいのだ。それは、金を費やす道楽でなく、“道を楽しむ”ということです。
 五木寛之は書いている。「一人の友と、一冊の本と、一つの思い出があればいい」と。まだ、私は、その心境にはなれないが、遊行期に入る頃には、本や頭髪だけでなく諸々を削ぎ落としていかなければとは思っている。
 読み終わった晩に、NHKラジオ深夜便を何げなく聴いた。社会学者の加藤秀俊さん(この人の本も好きで「学問のすすめ」など数冊読んだ)の、「隠居学のすすめ」という内容の話があった。
 隠居というのは、リタイアではなく、江戸の落語にあるように、道を楽しんでいる“道楽者のご隠居さん”というイメージでありたいという。私もできれば“粋なご隠居さん”になりたいと思う。 
 万歩計をもって、歩いているが、一日何歩という目標管理はしない。気がついたら、累計○○百万歩にもうすぐなるという。「目的性」を持たない生き方を語っていた。加藤さんは今年77歳という。大分昔に第一線を退きながらも、お座敷がかかれば、全国あちこちに講演などをしに行くという。そんな中で、最近は、落語など“生の世界”を楽しんでいるという。落語も今は全集やCDが出ているが、生の良さには及ばない。そういう「生の世界」の素晴らしさを、こころのおもむくままの読書がいざなってくれるという。うらやましい生き方だ。
 ビールもJazzも三味線も○○も、“生”がいい。小生も、ささやかながら、本のいざないから、神社仏閣や花鳥風月の“生の世界”“生の現場”におもむくようにしている。
ともあれ、林住期を、おもむくままに、朗らかに、楽しく過ごしたいと思う。