終戦記念日と小野田寛郎

 今日は終戦記念日。戦後62年になる。NHKハイビジョンのTVを見ていたら、たまたま、ハイビジョン特集「生き抜く小野田寛郎」を放映していた。
 小野田少尉が帰国したあと間もなくブラジルに渡ったことはおぼろげな記憶があった。しかし、一人で10年がかりでブラジルの原野に「小野田牧場」を成功させ、その後、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛めたとして『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾『小野田自然塾』を主宰。自らの密林での経験を元に逞しい日本人を育成するとして、講演会や野営等を行い、ブラジルでは、83歳という高齢ながら、バイクに乗りトラックを運転し牧場で働いている。日本とブラジルを往復し続け、活動している。
 特集の中でのインタビューで、「目標を持てばどんな状況下でも希望を持って生きられる」「絶対に後ろを振り返らない」、島田庄一元伍長や小塚元一等兵との30年に亘る島での戦い、部下との葛藤の中で「別れるような喧嘩をするのは簡単。別れないようにするための喧嘩が大事なのは夫婦の喧嘩と同じだ」などの言葉が、時間と体験の重みが加わり、ずしりとした実感があった。
 「わがルバン島の30年戦争」「わが回想のルバング島」「たった一人の30年戦争 」「君たち、どうする?」「だから日本人よ、靖国へ行こう 」等の著作もある。
 靖国問題はまだまだいろいろと議論されている。「だから日本人よ、靖国へ行こう 」はどういう考えで小野田さんが書いたのか読んでみたくなった。図書館を検索したらあったので、早速借りて読んでみようと思う。
 83歳でパソコンで原稿を書いている映像もあった。背筋がしゃんとしていて、やさしい笑顔の老顔の中に、笑っていない強い眼光が印象的だった。久しぶりに、筋金入りの日本人を観た思いだ。なぜか、“プリンシプル”に生きた白洲次郎と重なるイメージを感じた。