ブリッジ

 「私の家では家族で時々ブリッジをします。」と言ったら、その昔、「へー変わった家族ですね」と言われたことがあった。レスリングのブリッジと思われたようだ。
 わたしは小学生の頃からトランプが好きで、トランプ遊びの本を買ってきて、新しい難しいゲームを妹や友人達とよく遊んだ。ポーカー、ラミー(日本ではセブンブリッジと言っている。)、ツーテンジャック、ナポレオン、ファイブハンドレッド、ホイスト(ブリッジの前身)など、本に書いてあるゲームはほとんどやった。
 その本の最後に、トランプゲームの中で一番難しく、一番面白いと書かれていたブリッジを中学時代の悪友を誘って遊んだ。私の机の上で授業と授業の合間先生が教室に入ってくるぎりぎりまでやった。
 高校時代も卓球部の仲間ほか、十数名のブリッジ仲間を作ってよく遊んだ。
 ブリッジは碁、麻雀、チェスとならんで世界の4大ゲームと言われている。日本では碁、将棋、麻雀、花札(さいころ)となるのだろうが、将棋は世界的ゲームにはなっていない。私はゲーム好きだったので、これらのものは全てやった。賭け麻雀やポーカーなどは中学時代からやっていた。ただし、つい遊び心を起こしてしまうために着実に勝つということが少なかった。
 高校時代のブリッジ仲間が東工大、慶応、早稲田などのブリッジクラブに入った。私の行った駅弁大学は残念ながらクラブがなかったので、機械工学科のクラスメートとプレイした。タイからの留学生がうまかった。
 学生の時に六本木のブリッジクラブに仲間と対外試合(デュプリケートの試合)に行ったことがある。この時ペアを組んだのが私のブリッジの教え子?だったsunriseさんというわけです。
 彼は慶応のブリッジクラブで活躍し、ブリッジの学生選手権で団体優勝していた。 師Henryを遙かに超えていた訳だ。
 彼の実力のおかげで、その日、優勝することが出来た。賞品で貰った、水谷営三さんのサイン入りの「コントラクト・ブリッジのすべて」が今も書棚にある。40数年前のことである。
 ちなみにこのブリッジは正式にはInternational Contract Bridge といい、日本では高松宮杯、学生選手権、全日本選手権、極東選手権、世界選手権などのある、世界的なゲームなのであります。
 続きはまた!