A塾:「富士山と江戸」 その1

 今日のテーマは「富士山と江戸」、先生がどんなお話をされるのか楽しみだった。先生は、6月末ボローニヤ大学の「自然と都市」学会で、「北齋の富嶽風景画と江戸」を発表されるとのことで、今日はそのことをベースにお話しいただいた。
 北斎富嶽三十六景は半分の18枚が江戸から見た富士山を画いていると言う。何故、三十六景の内の半分も江戸から見た富士を画きこんだのか、そこを考えないといけないと、先生は言う。
 それは、江戸の人々にとって、富士山は「不死(ふじ)」であり、「福慈(ふじ=ふくと、いつくしみ)」でもある、信仰の対象としての「神」であったと言う。
 また、江戸時代には、江戸に大きな神社はほとんどなかったそうだ。そんなこともあり、江戸時代は富士講がさかんに行われたり、富士塚が造られた。現在も60もの富士塚があると言う。
 今まで、富士塚にはさしたる関心を持たなかったが、今日のお話を期に、いくつかの富士塚に行ってみようと思う。また、富嶽三十六景もあらためて見てみようと思う。