パソコン供養

永年にわたりパソコンと共に仕事をし、生きてきた。今日断捨離の意味で、処分しそこなってきたPCを5台廃棄処分した。富士通、HP、長男から譲り受けSONYVaioASUSなど色々だ。私の仕事も会社のコンピューターでの業務管理から、営業本部の業務システム部への転勤、販売店の顧客管理、受発注システムの推進、アメリカでのMIS(経営管理システム)の推進など、プログラマーシステムエンジニアではなかったがコンピューターを活用しての経営管理に携わってきた。
 PCに接したのは自社製のパソコンを買って長男とBasicのプログラムで遊んだことが始まり。その後会社の業務で簡易表計算ソフトを活用したり、ワープロが活用される時代になった。
 一方でパソコン通信も動き始め、今思えば超遅い300ボー(300bps)というスピードでオンライン受発注システムの導入の仕事をしたのが信じられないくらい懐かしい。
 インターネットも始まり、大阪に転勤したときに関東の先輩と初めてパソコン通信をして、文字がぽつぽつと画面に表示された時の感動は忘れられない。
 その後44歳でアメリカに転勤し、MIS部門を担当した。日本の本社への報告書類は日本語でなくてはならない。駐在員は皆自前で日本語ワープロを買って使っていた。何とかIBMのパソコンで日本語が使えないかと、DOS-Vを使って初めて日本語が表示できるようになったことも懐かしい思い出だ。
 1995年7年のLA駐在を終えて日本に帰国するころには、PCのハード、ソフトも目覚ましい発展をして、Microsoftのワード、エクセル、パワーポイントなどが急速に導入されていた。それと同時にインターネットの拡大、メールの普及なども急速に進んだ。
 そんなわけで私のPCとの付き合いも通算10台以上になるだろうか。35歳からとして、約5年に1台使ってきたことになるかな。今使っているPCは二か月前に購入、これが最後のPCになるかな? 
 針供養ならぬ、PC供養をしました❗