平山郁夫「玄奘三蔵−祈りの旅」

 9月30日の「日曜美術館」で平山郁夫さんが出ていた。「玄奘三蔵−祈りの旅」を中心として、原爆体験の絵のこと、シルクロードの旅、何故、仏の絵を描くようになったかなどを含め、彼の絵画に向かう哲学などが語られ、感ずるところ、得る所大の番組だった。
 平山郁夫さんの絵画は、今まで、たまたま訪れた美術館で見たりして2,3度見ている。シルクロードの絵をたくさん書いていることは知っていたが、どういう生い立ちで、どういう経緯でシルクロードを書くようになったのか、仏教にかかわる絵、ブッダにかかわる絵を描くようになったのかのいきさつは知らなかった。
 TVを見た後、いつも行く片柳の図書館に行ったら、まさにきょうTVで見た内容の「玄奘三蔵−祈りの旅」という本が見つかった。これもめぐりあい“邂逅”だなと、早速借りて一気に読んだ。
 平山郁夫の父は、広島生口島で350年続く旧家に婿養子できて「自分は財産持ちのところに養子に来たから、あるものがなくなるまで使う。奉仕の人生を送るんだ」と言って、一代でその財産を使い果たしてしまったそうだ。早稲田の政経を出て、新聞社勤めをしていたこともあるが、学生時代から仏教やインド哲学に興味を持っていたとのこと。そんな影響もあったのだろうと、平山郁夫は書いている。その父の言葉「お金なんかなくてもチマチマするな。じっとしてれば何とかなる」「秀麗の富士を見んと欲せば、須からず時を待つべし」「やっぱり、人間は慈悲の心が大切だぞ、お前ら、慈悲の心さえ持っておれば成長するんだ。困ったときでも、その心があれば必ず危機を脱することができるからな」、などの父親の常日頃口にしていた言葉も紹介している。どれも味わい深い言葉だ。そんな父の遺伝子を受け継いでか、平山郁夫は29歳の時から仏陀にひかれた、あるいは巡り合ったのだろう。そして、そのブッダの教えの原典を求めてシルクロードを旅した玄奘三蔵に行き着いたということが理解できた。
 薬師寺の故高田好胤師に依頼されて「大唐西域壁画」を約40年の歳月を費やして平成12年に完成し奉納したという。仏陀玄奘三蔵への感謝、報恩の気持ちから一銭ももらわずに数十枚の壁画を描いた。平成12年は私は大阪から群馬に転勤した年だったので「大唐西域壁画」が薬師寺に奉納されたことも知らなかった。その後、大阪に再度転勤したのに薬師寺に行かなかったことが、今にしてみれば悔やまれる。次に関西に行ったときは是非見たいと思っている。この本、平山郁夫の絵やスケッチ、シルクロードの旅の記録、画像等が随所にある。今までたくさんの仏教書を読んできたが、絵画を通じて感性に訴える“仏教書”を読むのは初めてだった。この本、いわゆる仏教書ではないのはもちろんだが、平山郁夫という現代のまれなる大画家の語る“仏教書”だと思う。僧侶、仏教哲学者、文学者の語る仏教書もいいが、こういう“仏教書”は理屈ではなく、直接感性に訴えてきて、説得力がある。
 感受性が鈍いと家人から揶揄される理科系、典型的B型Henryではあるが、こういう感性はあるのだ!
 ちょうど、東京国立近代美術館で、企画展「平山郁夫 祈りの旅路」が開催されている。早速行ってみたいと思っている。
 以前購入し途中まで読んで止まっている「三蔵法師」(中野美代子)や「玄奘三蔵 西域・インド紀行」(講談社学術文庫:慧立/彦?著:長澤和俊訳)を読みなおしてみようと思う。