行基に関する本を読む その2 「民衆の導者 行基」(速水侑 編:吉川弘文館)、

 行基という人はどういう思想の持ち主で、どういう仏教観をもっていたのかが知りたくなった。この本は、速水侑ほか行基研究の一人者数名の書いたものを速水氏が編集したものだ。行基について書かれいる、日本霊異記続日本紀、行基年譜、行基菩薩伝などから、行基の行動、業績などを分析している。
 行基は、岡寺を創建した法相宗の僧、義淵の弟子だったと言う。『三国仏法伝通縁起』によれば、弟子に玄纊・行基・隆尊・良弁などがおり、道慈・道鏡なども義淵の門下であったという。玄纊と行基は同時期に義淵から「瑜伽師地論」(ゆがしじろん)や「成唯識論」(じょうゆいしきろん)等、法相・唯識を学んだようだ。
 私も、唯識仏教に興味を持って「成唯識論」少し勉強したが、なかなか簡単に理解できるものではなかった。
 玄纊は遣唐使として入唐し、帰国して聖武天皇の信頼も篤く、吉備真備とともに橘諸兄政権の担い手として出世したが、一方の行基は、「僧尼令」や「大宝令」などの禁を破り畿内を中心に民衆や豪族層を問わず広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。また、道場・寺を多く建てたのみならず、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を、困窮者のための布施屋9ヶ所等の設立など社会事業を各地で行った。当時のいわゆる宗教家、僧侶という立場での行動ではなく、民衆の中での行動の導者として、後に行基菩薩と民衆に慕われ尊敬される人になって行ったのだと思う。
 そういう行基のもとに集まる「行基集団」は色々な技術を持った人たちや、経済的に支援してくれる、「檀越」(だんおつ)という人にサポートされて、規模の拡大し、力をつけてきた。そんな行基集団に聖武天皇が方針転換をし大仏建立を勧請したというわけだ。
 T先生が“日本のキリストだ”といった意味が理解できた。

また、読んでいて、空海と重なってくるところが多かった。この本の中でも、以下の如く空海と行基について触れていた。

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 行基と空海には共通する部分が多い。生い立ちに謎が多いわりには若くして頭角を現していること、あまり歴史の表には登場しない山岳信仰の伝統を受け継いでいること、土木工事、鉱工業など渡来系の技術者集団と密接な関係にあったこと、当初傍流であったにもかかわらず、最後は天皇などの絶大な信頼を受けるに至っていることなど。そして現在も民衆の圧倒的な人気を得ていることも共通している。
ここには、今まであまり歴史や思想の本に書かれてこなかった、日本の「宗教者」の本来の姿が垣間見えるようである。

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 今まで、歴史の授業でも、空海最澄から鎌倉仏教の法然親鸞道元日蓮などは取り上げられ、本も沢山書かれている。しかし、行基について書かれたものは、専門書はあるものの、一般読者が読みやすい文庫、新書のたぐいのものはほとんどないと思う。関西の行基ゆかりの地では現在も民衆から親しまれているようだが、もっと広く知られていい“菩薩”だと思う。
 東日本大震災の復興の活動を見るにつけても、行基の様なリーダーがいれば素晴らしいだろうと思う。