白洲正子「夕顔」&「植物の神秘生活」

夕顔 (新潮文庫)

夕顔 (新潮文庫)

植物の神秘生活―緑の賢者たちの新しい博物誌

植物の神秘生活―緑の賢者たちの新しい博物誌

 白洲正子の「夕顔」という文章を3年前に読んだ。(新潮文庫の「夕顔」のなかにある)白洲さんは夕顔の花が好きで自宅でも育てて鑑賞していたようだ。この夕顔という花、小生は無粋であまり見たこともないし、まして鑑賞などしたことがない。
 白洲さん、ある日の夕方、蕾が膨らんで、夕方には花開くだろうということで、その蕾の前で、今咲くか、今咲くかと、椅子に座って4時から7時過ぎまでじっとその夕顔の蕾を見つめていたという。すると不思議なことにその蕾は、かすかに震えるような動きを見せたかと思うと、さもくたびれたように首を垂れてしまったという。もしや息を吹き返してくれぬかと、11時まで見つづけたが、しまいには全く生きる力を失って、地に落ちたという。
 「思うに夕顔は、非常に敏感な植物なので、花を咲かせるという重大な秘事を、凝視されることが堪えがたかったのではあるまいか」と白洲さんは書いている。白洲さんならではの粋な観察だと思う。源氏物語の夕顔の君とイメージを重ねて語っているのも趣がある。
 この文章の中で「植物の神秘生活」(工作舎:ピーター・トンプキンス、クリストファー・バード共著)という大部の著書を紹介している。白洲さんも、「夕顔」の中で、近頃こんな面白い本はなかったと言っている。
 私も数年前から、“植物の神秘”に興味を持ち始めていたのでその本を買った。3,800円、605ページの単行本、しばらく買うのをためらったが、この手の本は、読みたいと思ったときに買っておかないと二度とめぐり合わないことが多い。そんなわけで買ったもののまだ現役で働いている時はなかなか読める本ではなかった。書棚の隅に2年位眠っていた。
 玄侑宗久さんの「現代語訳『般若心経』」の中で「植物の精神生活」(グスタフ・フェヒナー)という本を紹介していた。あっ!あの本のことだと書棚を探したら、“精神生活”ではなくて“神秘生活”だった。しかし、目次を見ると、この「植物の神秘生活」の中にも、“植物の魂を見た、フェヒナーの精神物理学”という項目もあったので、改めてこの「植物の神秘生活」と再会し、読ませていただいた。
 白洲さんも言うように、大部の著書なので簡単に説明できないが、極くありふれた植物にも感情や知性があり、他の植物とコミュニケートする能力がある。コミュニケーション能力だけでなく、人間が考えていることを予知することができるといったことを科学的に実験し証明している。なるほどと思わせてくれるところが多い。ただ、物理現象や化学の証明と異なるために、一般人にまで広くは伝わってきていないし、万人に(100%)認められるというところまではきていないようだ。物理、化学的にきっちりと数値的に証明されなくても、“事実は○○より奇なり”ということか。この本の中で紹介されている色々な事例、ホントかよ!と信じられないようなことも多く紹介されている。しかし私も、そういう事例を疑うよりも信じるという立場をとりたいと思った。
 白洲さんは言う。「日本は昔から人間と植物の間にはこまやかな交流があった。交流というより同等に扱っていたというべきか。そういう文化の伝統を宝の持ぐされにしてほしくはないと思うのである」
 「草木国土悉皆成仏」、全く同感である。