日光・結構・誕生会

  小生も、2の6乗の歳になり、18日に、義母、家人、家人の妹を乗せて日光に出かけた。次男一家が海外駐在、長男多忙とて、夫婦ふたりの誕生会温泉の予定が、「ならば母親孝行を兼ねたい」との家人の希望で、急遽家族ドライブ、アッシーになった次第。
 日光周辺は、霧降高原、鬼怒川温泉など何度かドライブしているのだが、東照宮には小学校の修学旅行以来だから、半世紀ぶりということになる。世界遺産になったためか、いろんな国から観光客が大勢来ていた。
 18日は生憎と小雨がぱらついていたが、もやった中の東照宮はまた別の味わいがあった。東照宮はTVでも何度も見ている。液晶テレビで見ると、想像以上に、「きんきらきん」にうつる。そんな東照宮は昔からあまり好きではなかったので、いつも素通りしていた。52年ぶりに自分の目で見ると、想像したよりも色彩がぎらぎらしておらず、きりりと立つ杉木立の中、色彩は渋く馴染んで綺麗だった。
 しかし、昔、平面に広がっていると思った東照宮は、勾配のきつい階段に次ぐ階段で、80過ぎの義母は参拝を諦め、義妹がお付きで木立の下でお茶しているとあって、我々も今日の所はザッとおさらい参観となった。
 重要文化財の、神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)の神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されている。「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻は、ここが起源だったことを忘れていた。近くのお守り売り場で、家人がプレゼントだといって、猿の小さなぬいぐるみ風携帯ストラップを買ってくれた。「手の位置をよく見て」と言う。見ると口を塞いでいる。「いわざる」だ。こんちくしょう!、とはいえ、「申年のUnchiku Henry」にはぴったりだと、我ながら感心した。我がトレードマーク、マスコットになりそうだ。
 翌日はすっきりと晴れ上がった。朝食前に宿の近くの撼満ガ淵というところを散策した。
 神橋(しんきょう)から大谷川(だいやがわ)沿いを遡り、含満橋(かんまんばし)を渡りさらに上流に向かって歩くと慈雲寺と「化け地蔵」がある。途中は「ストーンパーク」と呼ばれる場所だ。男体山の爆発で流出した溶岩流によってできた大谷川の奇勝が憾満ヶ淵。神橋に近い位置にありながら、あまり訪れる人もいない秘境的な存在。朝の7時過ぎのこともあったが、我々の他には、オタワから来たというカナダ人と日本人女性のカップルだけだった。
 不動明王真言マントラ=「なま、さまんだ、ばさらなん、せんだ、まかろしゃな、そわたや、うんたらた、かんまん」=天台宗真言)で最後の言葉が「かんまん」。「かんまん」とは大谷川の川音が真言のように聞こえることから付けられた名前で、漢字の「憾満」は当て字というわけだ。含満ヶ淵と記すガイドブックもあるが、発音的には憾満の方が近い。ちなみにこの憾満ヶ淵、1689(元禄2)年4月2日(新暦5月20日)には、『奥の細道』途中に松尾芭蕉も立ち寄っているという。  
 慈眼大師の弟子数百名が寄進したという地蔵菩薩が、渓流沿いの道に並んでいる。「並地蔵」と言われているが、地蔵の数を数えると、その都度数が違うというところから、「化地蔵」とも言われている。 大谷川の豊富な水が流れ込んで、素晴らしい小渓谷を形成している。この時期には緑一杯の木々に囲まれ、青く透き通る水、白い水しぶき、渓流のせせらぎが涼しさを与えてくれる。周りにはもみじの木も多く、紅葉の頃はまた別の色合いを見せてくれると思う。
 日光に、「裏日光」とも呼びたい、こんな所があったとは知らなかった。お勧めのスポットです。
 帰りに、霧降の滝に寄り、滝を遠望する山の上レストランでお茶。緑の木々に覆われたレストランで飲んだコーヒーは、格別だった。